日本支部通信 第19号(2003.7)

巻頭言

南北首脳会談とハラボジのチェーサ

裴光雄 

 

先週の日曜日、大阪城公園では南北首脳会談3周年を記念して、「ハナ・マトゥリ」というイベントが華々しく開催された。あいにくの小雨がパラツキ、足もとが悪いにもかかわらず、いわゆる民団系の人も、総連系の人も、一般の在日コリアンも、ビックリするほど大勢の人々が集まっていた。私たち家族(私、妻、1歳と3歳の2人の娘)も昼すぎぐらいから、参加した。私たち家族がこのイベントに参加したのは、実は3周年を記念してというよりも、また娘たちに民族的な文化や芸術に触れさせたいという想いからでもなく、正直に言うと、爆竜戦隊アバレンジャーがステージに来るからであった…。
今回の「ハナ・マトゥリ」が開催された日曜日は、3年前の南北首脳会談において南北共同宣言が発表された記念日と同日の6月15日であった。現在、韓国の政治・国会は南北首脳会談に係わる、いわゆる秘密送金疑惑で大きく揺らいでいる。けれども、未来に南北が統一された時点においてなお、6・15は画期的な会談であったと歴史的評価が下されていることを願いたい。
ごく個人的なレベルで、6・15は我が家において、民族的な日である。というのも、私のハラボジのチェーサの日だからである。今年のチェーサではお膳に並べられた祭需(供物)やチョル(礼)をする家族の姿などをデジカメに撮った。私はここ3年前から毎年、本務校の「アジア理解」というリレー講義で1~2回、韓国のことについて講義しており、内容は自分の専門である経済以外の分野としている。今年の講義では「在日コリアンの葬儀と法事」というテーマで学生たちに語った。学生たちの興味をひくために、レジュメだけでなく、視覚からも好奇心を沸かそうとアン・ソンギ主演の映画『祝祭』のワンシーンを観せたりした。来年の講義では実際の在日のチェーサの写真を「道具」として使おうと、シャッターを切ったのである。
そもそも講義の内容をそうしたのは、ある研究会で在日社会に関するテキストブックを作成しようと話し合われ、研究会のメンバーが歴史や就職・結婚など、各テーマを担当することになったが、その際に「それじゃ、私が葬儀とチェーサとします」と返答したことが事の経緯である。ではまたなぜ、葬儀とチェーサを選択したのかと言えば、6年前釜山で暮らしていた祖母が亡くなったとき、私は参列して経験した韓国本国での葬儀に強烈なインパクトを受けたからであった。
一応、研究会での報告のために先行研究をサーベイしなければならない。専門分野とは違うので、文献の調べ方が分からなかった。知り合いの先生に検索方法を教えてもらい、なんとか先行研究のリストアップができた。日本社会学会の社会学文献情報データーサービス(富山大学サイト)の検索サイトを利用し、「在日」とか「祭祀」などを入力して一覧をプリントアウトしたのである。
検索一覧の文献数は100以上あった。そのなかで最新で私のテーマに最も合致した先行研究は梁愛舜さんの一連の研究であった(「在日朝鮮人社会における祭祀儀礼──チェーサの社会学的分析──」『同』第33巻第4号(通巻95号、1998年3月および「チェーサと在日朝鮮人社会──世代交代と世俗化を中心に──」『立命館大学産業社会論集』第36巻第2号(通巻105号、2000年9月)。彼女の研究から多くのことを学んだ。「茶礼」「上食」などの言葉は全く知らなかった。在日コリアンのチェーサがいかに変容していったのか(合理化と小集団化、そして世俗化)、そのなかでもなお在日コリアンはチェーサを大切な民族的祭祀儀礼・行事、ひいては文化として守り続けてきたのか、教養的にも学術的にも理解できたような気がした。
我が家のチェーサもご多分にもれず、梁愛舜さんの研究通りに「合理化と小集団化、そして世俗化」が進行している。すべてのチェーサが陽暦で行われているのが、最も典型である。今年のハラボジの「忌祭」(命日の前日深夜に行うチェーサ)は命日の前々日が土曜日であったこと、そして娘のためにアバレンジャーを観に行くために、6月14日の夕食時に行った。本来、韓国のチェーサでは女性は祭需や料理の準備だけをして、紙榜に向かってチョルはしないけれども、我が家では妻も娘たちもチョルをしている。娘にはチェーサでチョルをすることで、少しでも民族の風俗・文化を感じてほしいと願うからである。娘たちがもう少し成長すれば、チュンジョハラボジのチェーサ(忌祭)の日は、南と北の「最も偉い」人が初めて会って歴史的な共同宣言を発表した日と同じ日であることを、私は彼女たちに伝えるだろう。その時には、今日よりも南北の和解が画期的に進展しており、明るい未来が展望できていることを願っている。

 ところで、爆竜戦隊アバレンジャーのショーが終わった後も、私たち家族は「ハナ・マトゥリ」の会場でバザーなどを楽しんでいた。ステージはクライマックスの美しいチマ・チョゴリを着た女性などによる民族大舞踊となった。我が家族は下の娘と私、上の娘と妻、それぞれ会場で「離散家族」になり、別々の観客席からクラッカーが鳴り響き、紙テープが舞う舞台を観ていたはずであった。妻に会うと、上の娘は腕の中で眠っていた。妻曰く、「もう、この子ったら、一番盛り上がっているときに寝てしまうなんて、信じられへんわ」。
最終ステージは見逃したが、アバレンジャー以外に民族の歌や農楽、踊りにも瞳を輝かせていた。そして、何よりもチュンジョハラボジのチェーサの日に歴史的な南北首脳会談を在日コリアンのイベントに参加し、祝ったことが娘たちの大切な思い出となったであろう。

(大阪教育大学助教授)


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〔西日本地域研究会報告要旨〕


第52回 2003年1月23日(木) 18:00~20:00 OICセンター 会議室

経済危機以降の韓国金融産業における労使関係の現状

朴 昌 明 

 

 韓国では、1997年末の経済危機以降、金融・企業・労働・公共の4大部門の大幅な構造調整が行われ、経済危機に直面した諸国の中で最も急速に経済を回復させてきた。韓国では、労使葛藤問題の克服が国際競争力改善のための重要な条件とされているが、特に金融産業の労使関係改革は上記の4大部門のうち金融・労働に関連するものであり、重要な位置づけを持ってきた。本報告は、経済危機以降(1997年末~2002年前半)の金融構造調整をめぐる政労使間の交渉を中心に韓国の金融産業における労使関係の現状について検討を行うものである。
まず、金融産業における労使葛藤の原因となった金融労働者の雇用問題について考察している。経済危機以降、韓国の金融産業の構造調整に伴い正規職労働者の大規模な雇用削減が行われ、景気回復に伴い非正規職労働者が増加している。韓国では、非正規職労働者の増加にもかかわらず、企業別組合は非正規職労働者をショックアブソーバーとして機能させることで正規職労働者の雇用を守ろうとしたため、労働組合組織率が低下するなど労組の組織力が弱体化し、金融産業でもそのような傾向が表れた。
次に、韓国金融労組の現状や問題点について検討を行っている。1998年夏からの第1次金融構造調整によって大規模の金融労働者が削減されることになったのに対して金融労連は強く反発し、同年9月にゼネスト突入を宣言した。しかし、傘下の労組が相次いでストから離脱したためゼネストは失敗に終わり、労組側は1997年末対比32%の雇用削減を受け入れた。このゼネストの失敗は、企業別組合の「組織間利己主義」の問題に起因していたため、金融労働組合運動の最大の課題は労組の産別化によってこの問題を克服することにあった。したがって、2000年代に入ってから労組の産別化への動きが本格的になった。
さらに、経済危機以降難航してきた金融構造調整等をめぐる政労使による交渉について考察している。政府は2000年から金融持株会社制度の導入等を中心とする第2次金融構造調整を実行しようとしたのに対し、労組は金融労働者の大幅な雇用削減を危惧して強く反発し、同年7月にゼネストの決行を宣言した。ゼネスト発生による大規模の社会・経済的損失を避けるために労使政委員会は政府・労組に対する仲裁を図り、数回の協議を経た上で第2次金融構造調整をめぐる労組・政府間の社会的合意を実現させた。しかし、この社会的合意は「確実性のあるルールや約束」の欠如という面で限界を抱えており、この限界性は同年12月の国民・住宅銀行の合併をめぐる労組・政府間の葛藤で露呈された。この問題は使用者側が組合員の雇用保障を約束することで一応の解決が見られ、それ以降金融産業においては労使が週休二日制の導入について合意し、労使協調宣言が発表されるなど協調的な側面が見られ始めた。
最後に、これらの政労使の交渉が与える示唆点についてコーポラティズムの観点から検討している。韓国の金融産業においてはメゾ・コーポラティズムを構築するための条件が備わっておらず、メゾ・コーポラティズムが十分に構築されたとは言えない。金融産業における労使協調は、企業レベルでの労務費抑制と雇用維持という産業レベルでの労使間のゲームに反映されたものであり、メゾ・コーポラティズムそのものではなく、それに代わる労使協調が実現したものであると考えられる。したがって、今後金融産業の労使協調が維持されるかどうかは、このようなポシティブ・サムの関係が長期的に維持されるかどうかにかかっており、雇用削減が実行されれば労使関係は再び悪化する可能性もあるものと思われる。

(関西学院大学大学院商学研究科研究員)


第53回 2003年3月28日(金) 15:00~17:00 OICセンター 会議室

植民地期における朝中貿易と朝鮮華僑の商業活動(1905-1930年)
李 正 熙 

 

近・現代の朝鮮・韓国華僑は、1882年任午軍乱を鎮圧するため朝鮮に派遣された清軍の軍役商人が嚆矢であり、その歴史は約120年を数える。しかし、韓国華僑の人口は、2000年現在、22,083人で韓国総人口の0.05%にすぎなく、北朝鮮の華僑人口約6,000人を含めても3万人に及ばない。しかも、韓国華僑は『相当なチャイナタウンのない国』のようにいわれていて、韓国華僑の経済は東南アジアと日本における華僑と比較すれば微々たる存在である。
しかし、19世紀末から植民地期における華僑経済は日本人と朝鮮人の資本を脅かすほど大きな経済勢力を形成していたし、人口は最大約10万人に達した。華僑は19世紀末、特に日清戦争までは、開港された朝鮮市場をめぐって日本資本を上回る勢いを保っていた。日本商人の競争者として華僑商人を取り上げた研究はいくつかあるが、その後の華僑商人に対する研究はほとんど見られない。
清国の商人が本格的に朝鮮貿易に携わるのは1883年頃であり、1905年日韓保護条約が結ばれる1905年まで、朝鮮の輸出と輸入貿易で占める割合は、それぞれ10.2%と29.3%であって、日本の88.2%と68.3%と比較すれば、少ない。しかし、清国の商人は輸入貿易の3割を占めていたことは、既存の圧倒的な日本商人優位説を考慮すれば、大きい方ではないか。この時期における華僑商人は上海から直接イギリス製綿布を仕入れて日本人商人より価格競争力を保ちながら輸入貿易を展開した。
しかし、1905年以後朝鮮が事実上日本の植民地になってから、日本は政治的な優位と同時に日本産綿布の技術向上により価格競争力をもたらせ、朝鮮市場でイギリス産綿布を朝鮮市場から駆逐していく。これは華僑商人に上海からのイギリス製綿布の輸入を減少させると同時に、華僑経済を危機に直面させる。それにも関わらず、華僑の輸入貿易は一時減少するが増加に転ずる。1930年まで朝鮮輸入貿易で占める中国の割合は、中国約30%(イギリス産製品取り扱い含み)であり、日本の67.1%に及ばないが、相当の比率を維持していることが分かる。朝鮮総督府は20年代初期に華僑経済の成長と人口の増加を懸念する報告書を出した。
それを可能にした原因は三つに要約できる。第一に、華僑はイギリス産綿布の代わりに中国産麻布、絹織物を大量に輸入した。この二つの輸入品は上海の問屋からネットワークを通じて直接仕入れて日本人商人に手を染めることを許さなかった。第二に、綿織物のうち相当の技術が必要な晒金巾の輸入品はほとんどイギリス製品が占めていてその輸入は華僑が行った。それに、韓国華僑は日本にある華僑のネットワークを利用して晒金巾以外の日本産綿織物の輸入を行い、日本人商人と競争していた。特に、韓国華僑は約9割が山東省出身であり、当時大阪川口には山東省出身の華僑商人が活動していて、韓国と日本の山東省出身華僑が日本製品の輸入で強く結びつかれていたことは面白いことであろう。第三に、華僑は麻布、綿織物、絹織物を輸入してそれらの国内流通・販売網を持っていたことが指摘できる。1923年現在、全国の主な12都市では、これらの製品を扱う華僑の呉服商と雑貨商は440に及んだ。しかも、華僑の卸売り業者は朝鮮小売業者にも麻布、綿織物、絹織物を供給しながら経済力を伸ばしていった。
この三つの要因によって、日本の朝鮮に対する植民地支配にも関わらず、華僑の輸入貿易は衰えず、それが国内における華僑商業および経済を発展させる柱になった。1930年以後朝鮮華僑の商業および経済活動は20年代と比較して萎縮していくが、それについては稿を改めたい。

(京都創成大学専任講師)

 

第54回 2003年6月11日(水) 18:00~20:00 OICセンター 会議室

韓国経済における完全変動相場制移行の意味
金 俊 行 

 

1.問題意識
・The Fall of Crony Capitalismと「市場資本主義の優越性」
「仲間内資本主義」の敗北は、だれの勝利なのか
・アジア通貨危機→「事実上のドル・ペッグ制」を巡る攻防
変動相場制という外国為替市場の「自由化」はだれの要求なのか
・固定相場制と自由な国際資本移動
資本移動自由化の手順と準備
・固定相場制と外資導入輸出主導型経済成長路線
変動相場制は安定したシステムなのか

2.外資導入輸出工業化と固定相場制(為替リスクなき海外資金調達と輸出促進)
・韓日国交正常化と「開放経済体制への転換」
為替レートの「現実化」:1964年5月の単一変動相場制への移行
ウォン切り下げ(1ドル=130ウォンから275ウォンへ)による公定レートと実勢レートの乖離払拭 政府裁量による実質上の固定相場制
・ドル危機と平価切り下げ〈表1〉
1969年4.4%、1971年13.0%、1974年21.3%平価切り下げ
(1ドル=484ウォンで以降1980年まで5年間固定レート)
ニクソン宣言以降の主要通貨切り上げ→輸出競争力向上+過剰ドルの導入
・第2次オイルショックと複数通貨バスケット制
1ドル=580ウォンへの平価切り下げ
バスケット加重値は公表せず(政策的操作)ドル比重の高さから事実上ドル・リンク以降、対外債務累積危機の進行の中で年平均5~6%の切り下げ
・「3低景気」と経常収支黒字転換
経常収支黒字:1987年98億ドル、1988年141億ドル(GNPの8%規模)
外貨準備の増大によるマネー・サプライ膨張→インフレーション
輸入自由化か海外投資増大かウォン切り上げか→市場開放圧力
・管理フロート制への移行
1990年3月「市場平均為替レート制」導入
前日付け外為銀行間取引レートを取引量で加重平均 一日変動幅上限は±0.4%

3.資本移動・金融市場自由化と固定相場制
・「官治金融」から金融自由化へ
民主化宣言以降、政府の市場介入力の急速な低下→金融の自律化
国際資本移動の規制緩和の開始
・ブルー・プリント(1990年韓米金融政策会議開始、1993年発表)
国際資金循環の激変と韓国金融・資本市場開放圧力
日本バブル崩壊、東西ドイツ統一、米国の平和の配当
・OECD加盟と「開放の高速道路」
エマージング・マーケットに対する市場開放圧力と韓国の「先進化」
・ストロング・ダラー・ポリシーと「円高の10年」の終焉
ウォール街の要求:経常収支赤字の拡大を補填する資本収支黒字の急増
NYダウ本位制 インフレ抑制のための対外再投資

4.韓国の国際収支構造の変化と固定相場制
・貯蓄・投資ギャップの逆転
3低景気:貯蓄率37-38%、投資率30-31%→経常収支黒字
1994-96年:貯蓄率35-33%、投資率36-38%→経常収支赤字→資本収支黒字で補填
・OECD加盟と海外資本流入
投資・貯蓄ギャップを超える資金流入〈表2〉1994-96年平均50億ドル超
・国内過剰流動性の膨張とインフレ圧力
国内投資には高コスト体質、海外投資もそれを上回る資本流入
不胎化するには債券市場が未整備
・選択できないオプション
総需要抑制政策→国会議員選挙から大統領選挙
変動相場制への移行→ハード・ランディング、1人あたりGDP1万ドル
為替レートの柔軟化(変動幅拡大措置)〈表1〉
・国内過剰流動性膨張とホット・マネー
3低景気時は経常収支黒字
通貨危機前は資本収支黒字、それも短期資本収支黒字の急増〈表3〉
・国際資本移動と固定相場制の矛盾
ウォン高かインフレかのトレード・オフ
海外資金の純流入→ウォン高圧力→ドル買い介入→外貨準備増大→通貨供給量増大
しかし、円高の10年間はこの矛盾が浮上せず

5.変動相場制移行と外為制度および外為市場の変化
・通貨危機、管理フロート制の破綻というなしくずし的移行
・IMF管理下の外国為替管理の規制緩和
第一段階:外資流入に対する制限の大幅緩和
第二段階:(1999年4月から2000年末)企業および金融機関の外為取引の緩和
第三段階:(2001年以降)個人の外為取引の自由化
・金大中政権の規制緩和・資本市場開放
2002年現在で韓国の資本移動自由化率は93%水準に(通貨危機以前は55%)これは先進国水準(OECD加盟国平均は90%以内)を超える
それでも政府は、資本市場自由化・開放を継続→外資の資本参加促進政策
・外国為替市場の変化
韓国外為市場年間取引規模
:1990年3,500億ドル、1997年1兆9,000億ドル、1998年約1兆ドル
1999年約2兆ドル(貿易総額の7倍、GDPの4倍)
規模回復の内容
:現物為替取引は増大せず、デリバティブ取引(先物およびスワップ取引)が倍増
前日比レート変動幅の拡大〈表4〉

6.変動相場制と韓国経済の課題
・「外為制度の先進化」は開放・自由化に偏向
資本市場システムの整備が不均等に大幅に遅れている
・変動幅(volatility)の拡大による不確実性の連鎖
ドル下落ウォン高による輸出採算性の悪化内外投資リスクの増大
ドルとリンクしている中国人民元の輸出競争力強化
・「不安定なドル」問題
基軸通貨国の対外借入の増大「サステナビリティ(維持可能性)」問題
ドル本位制を支えてきた成長経済の「事実上のドル・ペッグ制」の崩壊

7.グローバル・マネーの「管理」
・自主的管理:
秩序ある財政規律と金融政策の節度(固定相場制という制約からの解放)
資金流入の規制
高度成長から物価安定へ
・共同管理
朝鮮半島の政治的安定
変動相場制は最終選択なのか
アジアにおける生産のリージョナリゼーションに対応した金融のリージョナリゼーションの構築
不安定なドルに対する東アジア経済の共同行動
(大阪経済法科大学)

 

〈表1〉韓国外国為替制度の変遷

期間制度
1945.10~1965.3
・1945-1948
・1948-1950
・1950-1953
・1953-1965
1965.3~1980.2
・1969.11
・1971.6
・1974.12
・1980.1
1980.2~1990.2
1990.3~
・1991.9
・1992.7
・1993.10
・1994.11
・1995.12
固定相場制度
固定相場制度
複数レート制度と外貨競売制度実施
固定相場制復帰
固定相場制を中心に実勢調整のために数次平価切り下げ
単一変動相場制
4.4%平価切り下げ
13.0%平価切り下げ
21.3%平価切り下げ
19.8%平価切り下げ
複数通貨バスケット制
市場平均レート制
レート変動幅拡大 ±0.4%→0.6%
±0.6%→0.8%
±0.8%→1.0%
±1.0%→1.5%
±1.5%→2.25%

(出所)韓国産業銀行『産銀調査月報』、1997年2月号、p.4。

 

〈表2〉総資本取引規模および資本収支推移(国際収支基準) 単位:億ドル、%

 1986-89年平均1990-93年平均1994-96年平均
総資本取引規模488.7(6.0)894.2(22.0)2,108.2(30.9)
流入-39.383.2299.6
流出14.530.9125.4
資本収支-53.852.3174.2
経常収支84.2-37.6-123.9

( )内は対前年比平均増加率
(出所)韓国銀行『調査統計月報』、1997年12月号、p.13.より作成。


〈表3〉韓国の資本収支内訳推移(1993-96年) 単位:億ドル

 1993年1994年1995年1996年
資本収支68.890.2134.2170.3
長期資本収支
直接投資
証券投資
借款
89.0
5.2
110.2
-28.3
58.6
7.6
72.8
-6.2
78.3
12.4
89.2
-7.6
118.0
19.5
120.9
-6.4
短期資本収支-20.231.655.652.3

(出所)財政経済院『経済白書』(1997年版)、p.104.


〈表4〉ウォンの対ドル・レート変動性の推移 単位:%

 1990-971999-2000200120022002.4/4
前日対比変動率0.110.290.370.310.36
日中変動率0.170.520.520.500.56

注)1990-97年は通貨危機期間(1997年10月以降)を除く
(出所)韓国銀行『調査統計月報』2001年1月号、p.46.および2003年1月号、p.90.より作成

 


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〔国際高麗学会日本支部特別講演会〕
2003年2月18日(火) 17:00~ OICセンター 会議室

盧武鉉時代の幕開けと南北関係の展望
韓国 延世大学校国際学大学院教授 朴 明 林 


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国際高麗学会日本支部2002年度事業報告

 

1.ワンコリアフォーラム2002
日 時:2002年6月16(日) 13:00~18:30
場 所:KKRホテル大阪
テーマ:【南北首脳会談2周年と在日の和合】
内 容:第1部「在日同胞社会から見る南北関係」 第2部「在日同胞社会の和合と祖国の役割」
主 催:平和問題研究所・国際高麗学会日本支部・ワンコリアフェスティバル実行委員会


2.日本支部第6回学術大会・総会
日 時:2002年11月23日(土)
場 所:大阪経済法科大学 東京麻布台セミナーハウス
<第1部>

 (1)日本支部第6回学術大会 9:30~12:30
・自由論題報告
報告者:全永男(大阪大学大学院博士後期課程)「中国延辺朝鮮族における韓国語使用をめぐる言語意識調査─若年層を中心に─」
報告者:辺英浩(都留文科大学助教授)「韓国における儒教・儒者の記憶と機能─朴正煕時代を中心に─」
(2)日本支部第6回総会 12:30~13:00
・2001年度活動報告・2002年度事業計画を承認
<第2部> 【在日コリアンフォーラム】13:30~18:30
テーマ:『在日コリアンと公共性』
パネリスト

 文京洙(立命館大学国際関係学部教授) 金泰明(大阪経済法科大学客員教授)
竹田青嗣(明治学院大学国際学部教授) 洪貴義(立教大学大学院法学研究科博士後期課程)
孫明修(日韓市民スクエア共同代表) 金敬黙(日本国際ボランティアセンタ-調査研究員)
宋 悟(在日韓国民主人権協議会共同代表) 朴慶南(エッセイスト)
山下英愛(立命館大学講師)
<第3部> 懇親会


3.地域別研究会
◇西日本地域研究会
①第50回2002年10月12日(土)報告者:高龍秀(甲南大学教授)「韓国労働者階級の形成」
②第51回2002年12月18日(水)報告者:久津美香奈子(大阪外国語大学大学院) 「ディアスポラとしての在フィリピン韓国人」
③第52回2003年1月23日(木)報告者:朴昌明(関西学院大学商学研究科) 「経済危機以降の韓国金融産業における労使関係の現状」
④第53回2003年3月28日(金)報告者:李正煕(京都創成大学経営情報学部専任講師) 「植民地期における韓中貿易と韓国華僑の経済」
◇東日本人文社会科学研究会
①第19回2002年6月30日(日)《国際コリア学大会事前研究報告》
報告者:金哲央(大阪経済法科大学客員教授) 「崔漢綺(1803-1877)が見た西洋医書」
報告者:新田牧雄(蕨戸田市医師会看護専門学校) 「日本の高等学校での朝鮮史を通じた世界史教育方法」
報告者:金秀大(朝鮮大学校) 「2000年前後の時期におけるDPRKの経済動態について」
報告者:韓桂玉(大阪経済法科大学客員教授) 「『靖国アジア裁判』についての考察」
②第20回2002年9月23日(月)報告者:洪貴義(立教大学大学院) 「在日朝鮮人社会と『公共性』について」
◇科学技術部会研究会
①第22回2002年10月19日(土)報告者:張浩徹(京都大学工学研究科) 「ボトムアップ錯体化学」
②第23回2002年11月30日(土)報告者:兪成周(大阪情報コンピュータ専門学校講師) 「専修学校、民族学校におけるXML技術者教育プログラムの開発について」


4.特別講演会
日 時:2003年2月18日(火)17:00
講演者:朴明林(韓国 延世大学校国際学大学院教授)
テーマ:『盧武鉉時代の幕開けと南北関係の展望』


5.日本支部通信
─年2回発行(第17号は2002年10月、第18号は2003年2月)


6.会員拡大
─研究会、講演会、支部通信、インターネットなどを通じて会員拡大


7.事務局会議及び評議員会
(1)事務局会議を3回開催
(2)日本支部第8回評議員会
日時:2002年11月22日(金)19:00
場所:大阪経済法科大学 東京麻布台セミナーハウス
─評議員会では、2001年度活動報告と2002年度事業計画などが協議・承認された。日本支部役員の選出では、文京洙代表・高龍秀事務局長が全員一致で再選された。なお、これまで日本支部発展のためにご尽力された南正院評議員と朴徳洙評議員が辞任され、新たに金泰明評議員が選出された。


8.第1回世界コリア学大会
日時:2002年7月18日~20日
場所:韓国 精神文化研究院
主題:『コリア文化の中の外国文化、外国文化の中のコリア文化』
共催:国際高麗学会本部・韓国精神文化研究院・欧州韓国学会・豪州韓国学会

 招請講演 瀧澤秀樹(大阪商業大学教授)「韓国の民族経済論と日本の比較経済史学」
歴 史 金泰虎 (甲南大学助教授)[壬辰倭期の倭城「連結城」について]
文 学 真田博子(韓国仁荷大学)「韓国近代詩人の日本語創作に捏造した問題点」
思想宗教 金哲央 (大阪経済法科大学客員教授)「崔漢綺(1803-1877)が見た西洋医書」
政治経済 徐正根 (山梨県立女子短期大学)「韓日貿易不均衡の本質:経済問題の政治的論点化」
政治経済 姜 徹 (大阪経済法科大学客員教授)「在日同胞の在留権に関する歴史的考察」
自由パネル 

 白応鎭 (大阪経済法科大学)「済州方言はどれくらい生存しているか?」
金美善 (日本国立民族学博物館)「在日コリアンの言語接触現象―大阪市生野区の実例を通じて」
宋南先 (大阪経済法科大学教授)「行為者指向構文と非行為者指向構文の非対称性」
宋在穆 (大阪経済法科大学助教授)「韓国語とモンゴル語形容詞半復構文」

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第7回学術大会のご案内

 

日時:2003年11月30日(日)
場所:大阪教育大学天王寺キャンパス(予定)

【午前の部】 10:00~12:00 ・自由論題報告(人文社会分野、自然科学分野)
【日本支部第7回総会】 13:00~13:30
【午後の部】 13:30~17:00 ・全体討論「盧武鉉政権と南北関係の進展」(予定)
【懇親会】 17:30~

*自由論題報告(人文社会分野、自然科学分野)での報告を募集しています。報告を希望される会員は、氏名・所属・報告タイトルをEメールかFAXで日本支部までお知らせください。なお、報告者多数の場合はご希望にそえない場合もあります。

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編 集 後 記

 

◇「巻頭言」で裴光雄氏が書かれているとおり、6月15日に〈6・15共同宣言3周年記念大野遊会「大阪ハナ・マトゥリ」〉が大阪城公園太陽の広場で盛大に開催されました。
会場には、民団系、朝鮮総連系、およびその他の韓国・朝鮮人や日本人など3万人も集まり大にぎわいとなりました。
イベントの冒頭では、民族学校の子どもたちが「ハナ OSAKA」という人文字を作り、上空からヘリコプターで写真撮影するというパフォーマンスが行われ、マスコミを通じて広く報道されました。
また、仮設舞台では多彩な歌や踊り、ショーが披露され、ズラリと並んだ売店では不景気を吹っ飛ばすほど「商売繁盛」していたようです。
参加者たちの「ハナ(一つ)」に託した思いが、より強い絆となって実を結んでいくことを願いたいものです。

◇「ご案内」のとおり、国際高麗学会日本支部第7回学術大会が11月30日に大阪で開催されることになりました。
午前の部の自由論題報告に続き、午後の部では「盧武鉉政権と南北関係の進展」をテーマに全体討論が行われる予定です。
昨年来、朝鮮半島を巡って様々な問題が浮上し、緊迫した情勢が続いています。今年登場したばかりの盧武鉉政権は、こうした諸問題にいかに対処していくか、難しい舵取りが迫られています。
また私たち会員には、日増しに緊張が高まる現在の状況をどのように把握・分析し、どのように対応すべきかが問われています。会員の皆様が学術大会に積極的に参加され、密度の濃い討論が行われることを期待しております。  (K)