日本支部通信 第21号(2004.7)

【巻頭言】 民主労働党の国会進出

  金元重 (千葉商科大学教授)  

 結党4年目の韓国の民主労働党は4月15日の総選挙で大方の予想を上回る10議席を獲得し、念願の議会進出を果たした。長年の課題だった「労働者階級の政治勢力化」のための一大橋頭堡が築かれたといってよいだろう。

 韓国の労働組合が、議会内に自己の利害を代弁する議員を持たないためゼネストなど大衆運動で盛り上げた成果を法制度化に結び付けられないという限界を思い知らされたのは、整理解雇制が導入されることになった1997年労働法改正闘争のときだった。以来その年の大統領選挙に向け民主労総を中心として「国民勝利21」が結成され、3年後それを核に新たに民主労働党が創られた。しかし7年前まで「労働組合の政治活動禁止」条項に縛られて議会では無力に等しかった労働組合が、自ら足かせを断ち切って議会進出を果たした今回の成果は、単に労働組合の政治勢力化にとどまらない歴史的意義を有している。それは1961年の5.16軍事クーデタ以来43年ぶりに進歩政党(左翼政党)が議会に進出し、保守一色だった韓国国会のいびつな構造を打破したことである。

 今回の民主労働党の躍進の背景には、それを可能ならしめたいくつかの要因があった。まず政党名簿式比例代表投票制という新しい選挙制度の導入により有権者は候補者と政党とに2票を投票することができるようになった。その結果、民主労働党の政党支持率は13%に達した。4年前の総選挙に比べても10倍以上の得票である。

 また勝利の主体的要因のひとつは、民主労働党が独自の政策を一貫して訴える選挙戦略を展開したことである。「弾劾政局」の混迷のなか他の政党がいわゆる「イメージ選挙」-イベントと涙と断食が氾濫する選挙戦-を繰り広げたなかで、民主労働党だけは富裕税の新設をはじめ正面から政策を掲げて政策政党らしい選挙運動を展開した。

 民主労働党は結党以来、政策政党たることと民主的運営を特徴としてきた。これまで韓国の政党は、冷戦的保守であれ改革的保守であれ保守政党一色だった。政党間の理念的政策的差別性がほとんどなかったために地域主義が跋扈した。民主労働党は民主労総を母体に労働者、農民、庶民の政党として結成された政党であり、党費5万ウォンを納める党員6万人を擁している。また比例代表候補を民主的な党員投票によって選ぶなど、韓国政治の旧弊である密室ボス支配とも無縁である。このように政党本来の姿勢と地道な努力を重ねてきたことが、不正政治資金にまみれた既存政党に幻滅した多くの有権者に支持された真の理由だといえよう。

 さて民主労働党の今回の躍進は、ようやく韓国議会政治に明確に「左翼」が登場したことを意味している。維新体制に言論で立ち向かった著名な知識人である李泳禧氏は、かつて進歩政党が不在で保守政党だけが支配してきた韓国政治のゆがみを「鳥は左右二つの翼で飛ぶ」という表現で批判したそうである。これまで「右」の翼ひとつだけで飛ぶこともできずよたよたしていた韓国政治が、今回まだ小さいとはいえ「左」の翼を得たことは、労働者階級の政治勢力化とは別な次元で韓国政治に新紀元を開くものだといえる。

 新聞(韓国日報4.22)の伝えるところによれば、第17代国会の政党別本会議場座席配置が、偶然にも各政党の理念・政策性向を反映したものとなっているという。本会議場入口から見たとき進歩性向の民主労働党は左翼に、保守性向のハンナラ党は右翼にそれぞれ位置し、中道性向の開かれたウリ党が真ん中を占めている。これは座席配置の慣例が第1党が中央に、第2党が右側に、第3党とその他が左側に座るということを踏襲した結果に過ぎないのだが、韓国国会が座席配置を通じて政党の理念・路線の違いを確認できるように「可視化」されたことは喜ばしい。もっとも、左翼、右翼の語源が1792年フランス革命時の議会(中間派をはさんで左翼に急進派であるジャコバン党、右翼に穏健派であるジロンド党が座った)に由来するものであったことを考えると、韓国議会の民主化は西欧の政党政治に300余年の遅れをとって今スタートしたと見るべきかもしれない。


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【特別講演会報告要旨】

2004年2月7日(土) 16:00~18:00 OICセンター会議室

日本軍性奴隷問題に対する認識の差異を越えて

 姜 貞 淑 (一橋大学外国人客員研究員)

 

1.日本軍‘慰安婦’問題の提起

 韓国においてこの運動は、1970年代の妓生観光に反対し、80年代末にユン・ジョンオク前梨花女子大教授と、軍慰安所および慰安婦の実態を調査する活動をしていた韓国教会女性連合会、1)  韓国女性団体連合、2) そして女性学などの研究者と活動家が結合し、この問題を解決するための単一組織として韓国挺身隊問題対策協議会(以下 挺対協)が1990年11月に作られ出帆した。そして挺対協の協議団体であり、また研究団体でもある韓国挺身隊研究所が1990年7月に組織された。

 この運動は被害者不在のまま始まったが、キム・ハクスン、イ・ギブンさんをはじめとする被害者が証言し始めた1991年から本格的に軌道に乗り、多様な活動が展開された。その後、ナヌムの家、テグ市民の会などの被害者支援団体が作られ、活動領域も拡大していった。

 日本首相の訪韓を契機に始まった日本に向けたデモは、日本大使館前の水曜デモとして定着し、真相究明、責任認定、国家次元の謝罪と賠償、責任者の処罰、日本の歴史教科書における教育、慰霊碑建立などの要求事項を掲げた。

 このような韓国の動きは、日本から被害を受けた他の国家、すなわち台湾、フィリピンなどの東アジア各国、各民族にも影響を与えた。また被害国だけでなく、日本国内の良心的な人士とも結合し、アジア連帯会議、国連機構などでもこの問題を本格的に提起し始めた。これは当時、ボスニアでセルビア側が繰り広げた組織的強姦犯罪などと連関させながら、紛争地域での性暴力問題など、類似した問題の発生を防ごうとする世界の人士との連帯へと広がっていった。

 日本軍性奴隷運動は、埋もれていた事実から、紛争地域で今も起きている生々しい現在の女性人権問題であることを確認させた運動であり、この運動を通して、女性に対する性暴力問題解決のための全世界的な女性連帯へと発展していった。そうして日本軍‘慰安婦’制度の犯罪性と、その犯罪行為に対する賠償と公式謝罪および責任者処罰、歴史問題教育などに関する国際的な同意を勝ち取った。

 

2.性奴隷問題認識の多様性とその原因

 1) 認識の対局:日本極右

 アジア太平洋戦争で犯された各種の犯罪行為と関連し、1990年代に多様な問題が提起された。このような動きに対し、昨今、冷笑するだけでなく、組織的な対応を行う日本の勢力が存在する。

 彼らは過去の精算のために努力を傾けるのではなく、政治、文化、経済などあらゆる分野の戦争共犯者やその後裔たちと結託し、韓国などの被害者と被害国および、その立場を受容する日本人研究者や活動家に対して、攻撃的な態度を堅持し、各領域の人物が包括された日本極右戦線をつくっている。

 過去の日本帝国主義の時期を見る彼らの視角は、極度に保守的でファシズム的である。

 彼らの主張には偏差があるが、日本帝国主義が犯した犯罪行為を最大限縮小し、歪曲している面では同一である。日本軍慰安婦制度に対する立場にもそのまま現れている。彼らは、基本的に日帝が軍慰安婦の動員に関する政策を直接樹立し、行政組織、警察組織を稼動させたことが明らかになっても、慰安婦動員の責任を否定する。敗戦当時、無数の人力動員資料が計画的に消却廃棄されたことを知りながら、もしくはそれを自ら遂行しながらも、強制連行に関する具体的資料を提示できなければ根拠がないと強弁する。強制動員、連行の意味を極度に狭小化し、軍慰安婦制と公娼制を同一視することによって、この問題を否定しようとする態度をとっている。そしてこの犯罪行為を当時の国際法では処罰する根拠がないと主張し、最近では、国連などの国際機構が被害者に対する日本政府の謝罪と賠償を求めたことについて、できるだけ縮小解釈する立場をとっている。それは根本的に人間と歴史を見る視角、女性問題を認識する観点の欠如が原因であるだけでなく、現在の日本の目の前の利益とも密接な関連を持っている。

 

2) 活動家や研究者間の認識の差異

 極右的立場をとる人達だけでなく、被害者中心の視角を持って活動する人達(国境を越えて)の間でも差異はあり、学問領域内でも観点の差異が生じている。

 連帯活動の過程で現れた認識の差異を大別して見ると、まず被害者の国籍別に立場の差をあげることができる。軍慰安婦被害者の動員背景、数、被害の強度などについてそれぞれ異なった見方をする。韓中日の三国を例にあげてみると、中国は強姦問題を軍慰安婦以上に重要視する。そして同じ経験をしながらも、コリア南北はこの問題で強調する部分が異なる。この問題が民族問題から始まったという認識は共にしているが、その他の側面で、北は階級問題、南は女性問題という部分を特に強調している。そして被害者を支援する日本の活動家達は女性問題を特に強調する。このような現象は、中国は当時全面戦を経験する中で、女性に対する暴力として殺人強姦が行われ、性暴力としては強姦の形態がもっとも一般的だったからである。そして南北は、社会体制の差異から生じる認識の差異が大きいと考えられる。このように同じ問題を見る場合でも、戦争経験や体制の差異などによって強調点が変わる。

 二つ目に、研究者や活動家の論議を簡単に見てみよう。主にこの問題に関する論争は、この問題に対する視角、現実の運動に対する対応方式などが関連している。すなわち韓国では、なぜ今になって問題になったのか、運動過程における大衆動員方式には問題はないのか、運動があまりにも民族主義的傾向に流れているのではないか、運動方式が被害者中心に進んでいるのかなどについて、運動内部・外部で多様な論議が繰り広げられてきた。

 50年経った時点での問題提起という点で、韓国社会の女性の性認識に対する自己批判があったし、さらには韓国での軍慰安婦問題だけでなく、キジ村女性殺害、米軍装甲車によって殺害された女子中学生事件などを契機に、見る視角は一層緻密になった。若い女性運動圏(男性も含む)によって、韓国女性に対する性暴力問題は日本や米国など韓国を従属させる外国、外勢の存在がある時だけ提起しているのではないかという、運動の男性中心的視角に対する厳しい叱咤が加えられている。

 活動家の認識上の問題はないかという指摘は、運動内部では山下英愛氏が最も強力に提起してきた。

 なぜ純潔な処女なのか、娼妓ならば軍慰安婦に強制されても問題がないのか等々の問題を提起した。この問題は、軍慰安婦を挺身隊と呼ぶ問題、純潔な女性というイメージは活動家が作ったものだというよりも、韓国歴史の経験のなかで解放直後から構築されてきたイメージだったという点、問題提起以降、軍慰安婦とは何を理想型(当時証言した被害者中心に理想型を作っていくしかなかったという)としたのかという点とも関連がある。山下英愛氏の主張には歴史的経験と文化、実際の状況に関する誤解があるが、彼女の指摘には境界人としての敏感さがある。成熟した運動ならば、もしくは運動が発展するには、このような指摘を充分に受容していかなければならないと思う。

 三つ目に言及することは、被害者と活動家や研究者間にも立場の差異や観点の差異がありうるという点である。最初にこのような差異が現れたのは、被害者と被害国の活動家が1992年末頃、日本の戦争責任者処罰というスローガンを採択した時であった。日本の活動家たちの一部がこのとき運動から脱退した。その後のもうひとつの重要な契機は「女性のためのアジア平和国民基金(以下 国民基金)」であった。そしてもうひとつ、上記とは異なる事例であるが、「2000年日本軍性奴隷戦犯国際女性法廷」を設ける過程で、日本の活動家内部の異なった立場によって「女性法廷」から活動家の一部が抜けることもあった。

 このように彼らが置かれた社会状況と位置、経験などの変数が作用し、各国の被害者と活動家達の間に認識の差異が見られた。そして被害国の被害当事者と活動家間の認識の差は、普段は指摘されなかったが、あらゆる運動で常に存在する問題であり、この点も考えてみる価値がある。被害当事者の中から代表を選び活動をしても、果たして被害者多数の意見をきちんと反映しているのかという質問に対する答えは容易でない。この日本軍性奴隷問題解決のための運動は、(1)被害当事者がいない状況で問題が提起され運動が進んでいった点、(2)知識人出身の活動家と基層出身の被害者、(3)被害者が老人になった点などの側面からだけ見ても、被害者の立場を代弁するということがどれだけ困難なことか容易に推測することができる。ゆえに絶え間ない対話と、活動家の視覚の調整が要求される。

 

3.差異を認めながらの連帯-過去を直視し未来に向かう

 上記の国家別活動家たちの認識の差異を多少単純化しすぎたかもしれない。しかし認識の差異を客観的に診断し、結論に向かうための方法であったという点を指摘してこの文章をしめくくることにする。

 歴史観、価値観が対局にいる人々を同じ立場に導くことはほとんど不可能だと思う。

現在の状況でできることは、対局点の人々とはむしろその立場の差異を明確にすることが重要であると思われる。

 そのような対局に立っていない場合は、すなわち日本の責任を認める人々-過去を直視し未来に向かい被害者の立場で考えようとする人々は、自身の立場や論理を明らかにしながらも、互いの認識の差異を認めながら共同の連帯を広げていくことが重要であると考える。生存者が存在し、その課題が終わっていないから運動は持続しており、持続していかなければならず、真相究明の活動は常に新たに実現されねばならない。

 今重要なことは、この運動の経験を生産的に発展させなければならない点である。すなわち韓国など被害者や被害国の立場と、その立場を受容する日本の研究者や活動家との連帯を強化し、粘り強く国際舞台での関心を喚起し、具体的な結果を出すことのできる事業を広げていくことが必要である。はたして東アジアの女性達がこのように広範囲に連帯運動を広げたことがあっただろうか。

 この運動は多くの領域、たとえば学問と運動(人権、女性、教育、文化、平和、環境など様々な領域の運動など)を媒介し、発展させ、これからも影響を与えていくだろう。

 私個人としては、この運動を通じて日本人を再発見した。またこの活動を通じて自国中心主義から少し抜け出すことができた。私だけではないと思う。問題解決のため、日本政府や極右的立場に立った者達とは引き続き戦わなければならないが、一方で、韓国でやらなければならないことがとても多いと感じる。個人的にも、現在具体的な目的のために自身が主張すべきことをきちんと整理し、そのために何か活動することが必要だと考えている。この活動は、日本右翼の反応が軍慰安婦問題だけに局限されるものではないように、私達が共にできる活動は必ずしも日本軍性奴隷問題だけに制限されてはいない。

<脚注>

 1) もう少し具体的な研究が必要であるが、朴正熙政権当時、韓国政府は外貨 獲得の一環で妓生観光を許容あるいは幇助した。こ  の団体は、国家権力が介入し、妓生またはその関連業務の女性を教育し売春を許容する政策をとったという点に対し妓生観光反対 運動を起こしたと考える。

 2) 1980年代中盤に組織され、女性労働、家庭暴力および性暴力問題などを扱い、民衆指向の活動を広げる女性団体の全国連合体で  ある。

 

2004年5月29日(土) 15:00~17:30 I.S.D.布施

 ハーゲン・クー著『韓国の労働者-階級形成における文化と政治-』  (御茶の水書房、2004年3月)によせて

 

報告者:瀧澤秀樹(大阪商業大学)、高龍秀 (甲南大学)

討論者:金元重 (千葉商科大学)

 

 当初、特別講演会はハワイ大学のハーゲン・クー教授をお招きし、「韓国における労働者階級の形成」というテーマで報告していただく予定であった。しかし、訪日直前にクー教授のご夫人が急病で手術をされることになり、訪日そのものが不可能になってしまった。そのため、当日はクー教授の著書を翻訳した2名が著書を紹介し、予定していた討論者のコメントをふまえて議論する形態で講演会を行うこととした。クー教授の講演を期待されていた会員の皆様には申し訳ないこととなったが、以上のやむなき事情をご理解いただきたい。

 ハーゲン・クー(Hagen Koo、具海根)教授は、1941年に韓国で生まれ、1966年にソウル大学社会学部を卒業。1969年にUniversity of British Columbia で社会学修士号を取得。1974年にNorthwestern Universityで社会学博士号を取得。1981年からUniversity of Hawaiiで教鞭をとり、現在、同大学社会学部教授である。2004年3月に御茶の水書房から翻訳出版された『韓国の労働者-階級形成における文化と政治-』の原著は、Hagen Koo, Korean Workers -The Culture and Politics of Class Formation-, Cornell University Press, 2001. であり、2003年に米国社会学会(American Sociology Association)から「アジア部門最高の著書」に選定されている。同書は、2002年に韓国語に翻訳され(『韓国労働者階級の形成』申光栄訳、創作と批評社)、2004年には中国語版が刊行される予定である。

 

本書の構成は次のようになっている。

 第一章 序論-韓国労働者階級の形成

 第二章 産業化と労働者の出現

 第三章 韓国企業における労働と権威

 第四章 殉教者、女子労働者、そして教会

 第五章 労働者と学生

 第六章 労働者のアイデンティティと意識

 第七章 労働者大闘争

 第八章 岐路に立つ労働者階級

 

 本書の最大の特徴は、1960年代以降、40年間にわたる韓国労働者階級の形成過程を、ダイナミックに分析したことにある。そして韓国労働者階級の形成過程で文化と政治がどのように影響を与えたかという点を重視するという、独自な分析視角を提示している。つまり筆者は、「労働者階級の形成」を「自ら固有の階級的アイデンティティと階級意識を築いていく過程」と捉え、「社会階級は単に生産関係によって決定されるのではなく、究極的には働く人々の具体的な生活体験を基に形成される」とすることで、人々の具体的な生活体験に強い影響をもつ、文化と政治の役割を重視するという視角を強調している。クー氏は、ヨーロッパでの労働者階級形成と比較しながら、韓国では、儒教文化の伝統と家父長制イデオロギー、そして権威主義的な国家権力が労働者の意識に大きな影響を与えたと特徴づけた。韓国の労働者は、工業化の初期段階では、「コンスニ(女工)」や「コンドリ(男子工員)」と侮蔑的に呼ばれ、または国家によって産業戦士、産業の担い手という呼び名を与えられた。さらに、強い教育イデオロギーにより、教育を受けられなかった労働者に強いコンプレックスがもたらされ、根強い女性差別は特に女子労働者の社会的地位を著しく低いものに追いやる役割を果たした。

 しかし、このように産業化初期の文化と政治権力が、労働者の階級アイデンティティと意識の発展を抑える役割を果たしながらも、同時に労働者の強い憤りと抵抗を引き起こし、1970年代に労働者の人間的な処遇と社会正義を求める運動を生み出した。さらに、70年代には教会や社会運動が労働運動と提携し始め、労働者が階級意識を発展させるための組織的資源を提供した。

 1980年代の民主化運動の発展の中で、国家による支配イデオロギーに対して、抵抗イデオロギー、反ヘゲモニー言説が登場し、民衆運動の高揚による民衆文化、民衆意識が労働者の意識を刺激した。さらに、80年代には3000名を超える学生運動出身者(半数は女性)が工場に入っていくことで、労働者の階級意識を飛躍的に発展させた。学生出身労働運動家は、工場を超えた地域的なネットワークを形成し、85年の大宇自動車ストや九老連帯ストなどの労働運動へと発展していった。本書の興味深い点は、80年代に労働現場に入った沈相?など多くの運動家とのインタビューを紹介している点である(沈相?は2004年4月の総選挙で民主労働党候補として当選している)。そこでは、大学出身という身分を隠して現場に入り、小サークル活動などを行ってきた過程や、そこで直面したいくつかの困難などが生き生きと描かれている。

 韓国労働運動は1987年に、全国で10万人以上が参加する「労働者大闘争」へと発展した。これは、男性労働者中心の大規模な闘いがソウル地域だけでなく、蔚山、昌原など全国的に展開され、財閥の基幹重化学工業部門で大規模な運動が展開されたという特徴があり、新しい意味の集団的アイデンティティと階級意識を高揚させ、韓国における労働者階級の形成において最も決定的な局面といえる。さらに、この時期には、現代グループの権容睦氏を典型とする、外部知識人集団から直接的支援を受けずに、自発的に労働運動を展開する指導者が、工場内部から登場したという点も重要である。この大闘争は、財閥グループの労組協議会や、11の地域労組連帯組織、業種別・産業別連盟など様々な連帯組織の形成につながっていった。

 しかし、このような労働運動の高揚に対して、政府と資本は80年代末から新たな攻勢を加えた。政府は89年にストライキに公権力を投入し、90年に結成された全労協への弾圧を加重させた。韓国経営者総連盟(経総)は機能の強化をはかり、「無労働、無賃金」原則を訴えた。一方で、企業の枠内での安定した協調的な労使関係を志向しようとした。

 資本は新しい「新経営戦略」として、①業績給など実績主義の給与体系、②グローバル化による圧力を背景に、労働力の柔軟性を高めるため、オートメーション化、臨時職やパートタイマーの活用、③教育プログラム、レクイエーション、クラブ活動など「企業文化運動」により、権威主義的な労使関係を改善し、家族的な企業文化活動を展開した。

 これらの国家と資本の新たな攻勢により、組合員数は1989年193万2,000人から97年には148万4,000人に減少するなど、特に中小企業において労働運動の後退が見られた。これに対し、労働勢力は95年に民主労総(42万人の組合員)を結成し組織整備を図った。また、民衆の党など労働者の意思を政治的に代弁する政党の結成を試みた。

 労働者の闘いが再び高揚を見せたのが、1996年末のゼネストである。これは政府による新しい労働関係法に対抗するものであった。この労働関係法は、今後も数年間、複数労組を許可しない、雇用主に労働者を解雇し(整理解雇)、臨時職労働者の雇用とストライキ代替労働者の雇用を認めるという内容であった。これに強く反発した、民主労総がゼネストを宣言し、韓国労総もストを展開した。この闘いは、ホワイトカラーも含めた、雇用の安定を求めた広範な労働者の利害を代弁する闘いとして展開された。

 1997年の通貨危機により、大量の失業者が発生した。労働勢力は、整理解雇の受容を余儀なくされながらも、労使政委員会に参加する事で、労働政策決定過程に参加できるようになった。他方で、大企業と中小企業における労働者の地位の格差、正規雇用の労働者と非正規職労働者が拡大し、労働者階級における部門間の分化が進んだ。このため、一部の財閥企業では経済組合主義の傾向が見られ、労働者階級全体のアイデンティティが弱化する傾向が指摘されている。他方で民主労総は、非正規職労働者も組織化しようとするなど、部門間の分化に対応する試みも見られている。

 21世の韓国労働者階級は、整備された組織を土台に、社会に建設的な未来のビジョンを提案しながら成熟した労働者階級に成長していくか、労働組合主義に没頭し、内部的に分裂し、外部から孤立したものになるかという岐路に立っているといえよう。

 


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 【西日本地域研究会報告要旨】

第57回 2004年5月15日(土)17:00~19:00 OICセンター会議室

韓国の企業社会と労使関係

-労使関係におけるデュアリズムの深化-

 朴 昌 明(立命館大学経営学部非常勤講師)

 

Ⅰ.はじめに

 1990年代以降の韓国では「ネオ・コーポラティズム」に見られる政労使合意システムの導入が論議されてきた。特に、経済危機に直面してから先進国で見られる様々なタイプの政労使合意体制が韓国では検討されてきた。一方、その時期に韓国経済は市場メカニズムを重視する傾向を現し始めた。特に経済危機下の韓国では、IMFによる管理体制の下でアングロ・サクソン型の市場メカニズム重視モデルの優位性が強調されてきた。

 韓国の労働運動勢力は全国労組(ナショナルセンター)の組織的発展や労使政委員会など社会的合意機構への参与など、産業民主主義の観点から見ても一定の成長が見られた。しかし、その一方で経済危機以降の大規模な雇用削減により労組の組織力が弱まったり、中小企業労働者・非正規労働者・外国人労働者など労組による保護が受けられにくい階層に関する問題が重要な課題になっているにもかかわらず、労組がこれに十分に対応できずにいる。

 このような韓国労使関係の現状を説明するのに有効な2つの概念がある。それはコーポラティズムとデュアリズムである。なぜなら、オイルショックなどによる経済危機・不況を経験した先進諸国の労使関係においてコーポラティズムとデュアリズムという二つの流れが現れたからである。コーポラティズムは労働を「包摂」し、完全雇用や社会保障等との「政治的交換」によって労組に賃上げを自制させるのに対し、デュアリズムは労働を「排除」し、労組の組織力が及ばない市場メカニズムが作用する領域を拡大させることで賃上げ抑制を試みる[石田、1992、 p.278]。

 そこで、韓国の労使関係においてコーポラティズムとデュアリズムのうちどちらの性格がより強まっているのかに関する研究を行うことは従来のコーポラティズム・デュアリズムを利用した労使関係の研究を補完するだけでなく、今後韓国の社会的合意システムの発展のための基礎資料として有用に活用されるものと考えられる。

 したがって、本書の課題は、コーポラティズムとデュアリズムの概念を利用して、1990年代以降を中心に韓国の労使関係について分析を行い、なぜ韓国では政労使による社会的合意に幾度も難行・挫折を経験したのかなどに関する問題を究明することである。

 

Ⅱ.コーポラティズムとデュアリズム

 

1.コーポラティズム

 

◆コーポラティズムの概念

* Schmitter(1979)…コーポラティズムを利益代表・利益調整の観点から定義

 労使関係が高度に集権化された国では労使の利益代表組織が極めて少数の単位で構成されている。また、労使はその利益代表組織に義務的に加入しており、この組織では非競争的で組織内部に位階的な秩序を有している。さらに、労使の利益代表組織が国家によって承認されながらその職能に関して独占的な代表権が与えられていることを意味する。

* Lehmbruch(1979)…コーポラティズムを利益媒介のシステムと捉えながら公共政策の形成・実施に関するひとつのパターンとして定義

 大規模に組織された利益集団がお互いに緊密な協議体制を構築し、これらが国家機関と協力して公的、特に経済政策の決定に参与する特別な形態である。特に、労使の利益代表組織が独占的な代表権が与えられて公共政策の形成・実施過程に参与する際、政府と協調的関係を重視することを 「コーポラティズム」の大きな特徴とみなした。

 

◆コーポラティズムの種類

 Schmitter(1979)は、コーポラティズムを次の2つに分類

① 社会コーポラティズム

下からの利益集団の活動の結果として自然発生的に具体化され、国家は利益団体の自律性を保障(北欧、西欧等)。近年、コーポラティズムをマクロとミクロに分類する傾向が見られる。

* マクロ・コーポラティズム…労働組合組織率が高く、強力な一つのナショナルセンターや新労働者政権が存在する社会民主主義国家で見られるコーポラティズム(スカンジナビア諸国等)

→社会保障のような「社会的賃金」の上昇や完全雇用を交換条件に労働者側が賃上げを自制するよう政労使が全国水準で合意し、政労使合意下の所得政策によってコスト・プッシュ・インフレを抑制させる(石田、1992、p.248)

* ミクロ・コーポラティズム…労使関係が企業を中心に分権的に構築されている国で見られるコーポラティズム(日本)

→企業の労組は、大幅賃上げの要求を自制する代わりに、企業は組合員の雇用を維持することによって企業レベルでの労使協調体制を構築。

② 国家コーポラティズム

国家によって上から作られたものであり、国家は利益団体を従属させ、権威的に運営(資本主義初期段階の国家やファシズム政権国家等)。

* 融合的コーポラティズム…国家が主に近代化過程で労働者階層を新しい経済的・政治的秩序の中に統合しようとする政策を採択することによって労組は政策等に関する意思決定過程に参与しているが、その自律性と政治的影響力は制限されているコーポラティズム

* 排除的コーポラティズム…労働者階層を脱政治化させ、労働者階層に対して強圧的な政策を採択することによって労組が政策等に関する意思決定過程に参与できないように法・制度的に再配置するコーポラティズム

 

2.デュアリズム

 

◆デュアリズムの定義(Goldthorpe, 1984)

 労働組合の交渉力に規制を加えたり、労組の影響力が及ばない未組織部門を拡大することによって市場原理が自由に作用する領域を拡大させようとするもの

→新自由主義:デュアリズムと共鳴しあう政策的志向(五十嵐、1998)

 

◆デュアリズムの特徴

①移民労働者(外国人労働者) ②下請制度 ③非正規労働者

→デュアリズムは、必ずしも労組に対する直接的・全面的攻撃を意味するのではなく、経済活動の一定分野で市場の力を拡大させることによって労組の組織力を弱化させることを意味する。しかし、新自由主義的労使関係政策を通じて労組が組織された部門も直接「脱組織化」させる場合もある(例:サッチャー主義)。

 

◆デュアリズムに対する労組の対応

①デュアリズムの拡大に抵抗し、階級志向的労働組合運動を展開

②デュアリズムを受容して第2次労働市場の労働力を「ショックアブソーバー」(shock absorber)として機能させ、組合員の利益を保護(例:Japanization)

→デュアリズム的傾向の強い国では①の戦略の実行は難しく、②の戦略をとる場合が多い。

→労働組合運動の分権・弱体化。

 

◆デュアリズムとネオ・コーポラティズムの関係

 マクロレベルでは対立的関係であるが、ミクロレベルでは共存・促進もさせうる関係

 

Ⅲ.韓国労使関係分析への視点

 

1.コーポラティズムに関する研究

 

◆1987年以前

◎ 国家コーポラティズムの観点による研究

チェ・ヂャンヂプ(1985; 1993; 1995; 1997 etc.)、キム・ヨンネ(1986)、パク・チョンヂュ(1986)など

[1987年以降のコーポラティズム論争]

◎1987年以降民主化運動の高揚と労組の制度圏参与に関する問題

キム・ホジンとイ・ガンノ(1991)、パク・セイル(1990a; 1990b)など

◎韓国労総と経総の賃金合意と労使関係改革委員会の出帆

* ソン・ホグン(1994)、チェ・ヂャンヂプ(1997)、ユ・ボムサン(1999)など

 

◆1997年末経済危機以降のコーポラティズム論争

 1997年末の経済危機発生以降の論議は労使政委員会や「2・6社会協約」の性格や意義、問題点を中心に展開されている。

* カン・ミョンセ(1999)、チェ・ヂャンジブ(1998)、イ・ヂョンソン(2001)、キム・スジン(1998)など

 

2.デュアリズムに関する研究

 

韓国では、デュアリズムの概念を利用した本格的な研究は極めて少ないのが現状である。

 

◆ソン・ホグン(1991)の研究

 韓国の労働市場を分析する際に、国家の「市場メカニズム的抑圧(repression by market mechanism)」という概念を利用して1987年以前の韓国労働市場を説明した。

◎示唆点

・ 1987年以前、国家が労働組合運動勢力に対して市場メカニズム的抑圧を行い、労働市場の分断現象が現れなかったため、大企業でも中小企業でも市場の論理が支配したと主張。

・ 労働市場の分断現象を、国家と労働組合運動勢力の組織力量の観点から二重モデル(dualist model)として説明し、1987年を起点に韓国の労働市場は、労働者が市場のメカニズムによる抑圧から保護を受ける制度が整備されている第一次労働市場と、市場の論理が貫徹されている第二次労働市場に分断されていったと提起。

◎限界性

・ 労働市場の特徴を国家と労組の関係や労組の力量という観点に偏重して分析し、二重労働市場の特徴といえる賃金格差や企業規模間の労働移動の減少、非正規労働者の増加等に関する説明を行わなかった。

・ 1987年までを研究対象にしたため、それ以降の二重労働市場への変化に関する具体的な分析が行われていない。また、彼は二重モデルの形成過程で政労使がどのような戦略を選択し、それがどのような影響を与えたのかに関する具体的な説明を行わなかった。

 

 90年代以降、韓国では先進諸国のネオ・コーポラティズムをモデルに様々な社会的合意システムが模索されてきたが、協議は難航し労使紛糾をもたらす事例もよく見られた。しかし、その原因をデュアリズムの観点から分析した研究が極めて少ないのが現状である。そこで、デュアリズムという観点からの労使関係研究は、韓国労使関係の特質を究明するのに新たな視点を提供するものと考えられる。

 

Ⅳ.90年代韓国におけるデュアリズムの深化

 

1.正規労働者の減少と周辺労働者の増加

 

(a) 正規労働者の減少と非正規労働者の増加(図表1)

 経済危機発生前後にあたる1997年から1998年の間に性別に関係なく常用労働者数が減少しているのが確認できる。一方、経済危機が発生した1997年を境にその前後を比較してみると、非正規労働者に相当する日雇労働者・臨時労働者の数や割合が経済危機以降に増加していることがわかる。さらに、経済危機を経て景気回復の基調に入った1999年から日雇・臨時職労働者の数が常用職労働者の数を上回っている。

 (背景)

◎ 1998年の労働関係法の改定によって整理解雇制度・労働者派遣制度が全面的に導入されたのを契機に正規労働者が大幅に削減される一方で非正規労働者数が急速に増加

◎ 非自発的に非正規職に就業(1999年韓国労働パネル調査)

(非正規職としての就業を希望) 非正規職 20% 正規職 7.1% 雇用主・自営業者 19.2%

 

◆非正規職の状況 (2001年)

 ・月平均賃金: (正規職) 常用労働者 1,798,000ウォン 

(非正規職) 臨時労働者 967,000ウォン 日雇 758,000ウォン(統計庁、2001)

 ・週労働時間: 正規職45.9時間<非正規職46.5時間 (キム・ユソン、2001)

・時給: 非正規職4,824ウォン→正規職(9,315ウォン)の51.8%(同上)

 

(b) 中小企業・下請企業労働者

 

◆下請組織の拡大

 韓国における請負組織は、自動車、電子など大規模組立産業の発展が本格化した1980年代後半に拡大し、20人以下の小企業の参与も拡がって請負組織の重層化もかなり進んできた[中小企業庁、中小企業特別委員会、2000、pp.186-187]。実際、製造業の中小企業のうち、他の企業の注文を受けて製品を生産・納品する「受給企業」の割合は、1984年の41.7%から1988年(55.8%)、1992年(73.4%)、1998年(66.0%)と上昇した。

 大企業と中小企業間の下請関係の変化を通じた大企業の数量的フレキシビリティの追求は、親企業である大企業の雇用量減少と下請企業である中小企業の雇用量増大を招いた[金炯基、1997、p.265]。

◎中小企業労働者の増加(図表2)

 従業員300人未満企業に属する労働者の割合 1991年 78.5%→2000年88.0%

◎大企業と中小企業間の賃金格差の拡大(図表3)

 

(c) 外国人労働者(図表4)

 1987年以降韓国で賃金が急速に上昇し、いわゆる3K業界を中心に労働力不足が発生したのを契機に製造業の中小企業を中心に外国人労働者が積極的に導入され、特に不法滞在者が増加

 

◆外国人労働者の賃金(図表5)

◎時給の割合(外国人労働者/韓国人高卒生産職労働者) 男性 65.9% 女性 72.9%

◎宿泊費を含めた時給の割合 男性 78.7% 女性87.9%

◎生産性の割合 76.4%

→宿泊費や生産性を考慮すると外国人労働者の賃金が顕著に低いとまではいえない。しかし、それでも企業が外国人労働者を雇用するのは、3K業界のように韓国人労働者が就職を逃避する業界では外国人を雇用せざるをえないためである[インターネット中央日報、2003.5.12.]。

◆外国人労働者の人権問題(ユ・ギルサン、イ・ギュヨン、 2002)

◎未払賃金:調査に応じた外国人労働者の36.8%が、賃金が滞納されている

 (製造業合法就業者 平均2.3ヶ月 製造業不法就業者 平均2.5ヶ月 非製造業就業者 平均2.8ヶ月)

◎労働災害:労働災害経験者が16.7%、うち治療費を本人が負担したケースが42.3%

 

2.企業の労使関係戦略

 

◆90年代韓国企業の「新経営戦略」

「新経営戦略」は、市場の需要に柔軟に対応するために労働者を企業に個別的に包摂して労働力をさらに柔軟に利用することを目的の一つとした。それによって、市場の需要変化に対応して雇用水準自体を調節する数量的フレキシビリティを追及するための装置が非正規労働者の採用であった[横田、2001、p.94]。

 

◆経済危機以前の韓国企業

 ◎企業規模に関係なく多様な形態の非正規労働者を採用(図表6)

 ◎下請・外注、労働力再配置、正規職の縮小などによる雇用調整(図表7)

◆経済危機以降の韓国企業

◎雇用調整の加速化(図表8)

 正規職の削減、非正規職の調整、下請・外注加工の拡大も経済危機を契機に急増

◎98年現代自動車の雇用調整の事例(図表9)

 

経済危機発生以降90年代末まで大企業の正規職労働者は整理解雇や希望退職等によって削減され、正規職から非正規職への代替化が急速に進み、下請・外注が拡大した。このような状況をデュアリズム的労使関係戦略という観点で解釈すると、企業は整理解雇による正規職労働者の減少、非正規労働者の増加、下請・外注の拡大によって労組が組織されていない部門を拡大させることによって労組を弱体化させていることを意味する。

 

3.労組の対応

 

◆労組の組織力の弱体化: 組合員数、労働組合組織率の低下(図表10)

 (重要な一要因):非正規職、中小企業労働者の増加

 1990年代に労組の組織化が難しいサービス部門労働者や女性労働者が増加したが、これらの労働者の中では非正規労働者が大きな比重を占めている。そして、非正規労働者は人件費抑制対策として製造業・非製造業に増加した。また、もともと中小企業労働者の組織率は低く、中小企業労働者の増加も組織率低下の要因となった。

 

◆労組の非正規職に対する「差別」

◎民主労総傘下の単位労組では、ほとんどの正規職(98.8%)が組織されていたのに対し、非正規職の組織率が正規職に比べて極めて低かった(図表11)

◎非正規職に労組加入資格を認める労組も極めて少なかった(尹辰浩、1996、p.64.)

(臨時・日雇 23.0%、パートタイマー 4.3%、 派遣労働者 8.1%、外国人労働者 0.0%)

◎非正規職に対する労組の態度(図表11)

 「積極的に努力」・「努力する方」(21.8%)≪「努力しない」・「全く努力しない」(50.4%)

◎正規職労組の非正規職労組に対する「排除」(1999年ハルラ重工業、2003年現代自動車等)

 

◆中小企業への組織化の難航(図表12)

 労働組合運動の方向は大企業正規労働者の賃金と労働条件の改善に偏り、中小企業労働者や下請企業労働者など組織化が難しく弱い立場にいる労働者の利益を十分に考慮していないのが現状である。したがって、中小企業の労働者や大企業の下請企業の労働組合と労働者は、大企業労組が中小企業・下請企業労働者の利益を保護しようとしないため、連帯感がないという批判を行うようになった[裴茂基、1995、 p.251]。

 

◆外国人労働者の権益保護に対する労働組合運動の消極性

 外国人労働者の多くは中小企業に就労しており産業研修生や不法就労者である場合が多い。中小企業労働者の組織化も困難な状況にあるために外国人労働者の組織化も難しくなる。また、外国人労働者の流入によって労働供給が増加し、外国人労働者による低賃金の圧力が労組の賃上げ要求に悪影響を及ぼすという認識を労組側が持っていた。

 

4.政府の労使関係政策

 

◆金大中政権の戦略:新自由主義的戦略と弱い形態の社会民主主義戦略(金炯基、1999、p.72)

 しかし、政労使の合意を通じた履行という原則はそのまま守られず、金融監督委員会や企画予算委員会など政府の構造調整担当部署が単独で構造調整を進行させるという事例が見られた(金融監督委員会、1998d; 企画予算委員会、1998)。

[背景]: 金大中政権の脆弱性(尹辰浩、1999b、pp.37-38)

・ 保守的性格の強い自民連と連合して少数与党として発足した金大中政権は、政治的基盤が弱い状況で政策の樹立や執行を官僚に大きく依存

→構造調整担当部署の官僚は保守性や新自由主義的イデオロギーを兼ね備えていたため、労使政委員会が構造調整を妨害する存在であるとみなしていた。

経済政策、特に構造調整に関しては官僚の新自由主義的思考が強力に反映

 

◎ 金融部門(金融監督委員会 1998c、etc.)

①経営正常化が可能な7銀行(BIS自己資本比率6%以上8%未満の銀行)

・経営陣交替、合併、店舗整理、人員削減等に関する経営改善履行計画書を作成。

・計画書の人員削減の項目については削減幅を30%ラインまで増やすことを要求。

② 経営状況が極めて深刻な5つの銀行(BIS自己資本比率6%未満の銀行)

・営業停止、資産負債移転(P&A)方式による整理、経営業績が優良な銀行への吸収。

・整理対象の5銀行に所属している労働者は引受先の銀行で3ヶ月間契約職員として採用されたが[金融監督委員会 1998b]、結局、整理対象となった5銀行の役員・職員のうち約70%が再雇用されなかった。

→銀行の正規職員が急激に削減され、非正規職へ代替化(図表13)

 

◎公共部門(企画予算処、2001)

 1998年から1999年にかけての公企業の構造調整で、公企業の総人員166,415人のうち32,359人(調整比率19.4%)が削減されたが、これは、当初の計画(31,328人)を超過して達成(計画の103%を達成)するものであった。

 

 経済危機発生以降、整理解雇を実施する企業が増加し、企業で正規労働者を非正規労働者に代替する動きがさらに活発になった。非正規労働者は失業と就業を繰り返すことで正規労働者の職場喪失の危険性を低める役割を果たした[イ・ジョンソン、2001、p.212]。金融・公共部門に見られる金大中政権の新自由主義的な経済・労働政策は労使関係のデュアリズム的性格をさらに深化させる要因になったと考えられる。

 

Ⅴ.韓国式ネオ・コーポラティズム政策の限界

 

1.労使政委員会の限界性

 

◆コーポラティズムの機能に反する政労使合意

労使政委員会では労働基本権拡大と労働市場の柔軟化という政治的交換が実施され、コーポラティズム諸国で見られる賃上げ要求の自制と雇用維持間の政治的交換を実施しなかったためである。

→むしろ、デュアリズムを深化させる結果をもたらす。

 

◆1998年第1期労使政委員会での合意内容

◎整理解雇制・労働者派遣制の導入→失業者・非正規労働者の増加(デュアリズムの深化)

◎公務員・教員の労働基本権の保障→本来コーポラティズムの政治的交換の材料ではなく、コーポラティズム構築への前提条件

◎失業対策・社会保障制度の拡充→制度的側面での長期的・抽象的な合意にとどまる

 労働組合運動が分権化されており職場交渉が普及している場合、労働者組織に対して物質的譲歩を行わなければコーポラティズムを維持するのが難しい[Jessop、1979、p.208.]。

 

◆労使の政労使合意への消極性・離脱

◎労働組合

 労使政委員会における社会的合意は、現場労働者に対して雇用削減に対する物質的対価をほとんど提供しなかった。したがって、ナショナルセンターに対する現場労働者の不満は大きくなり、ナショナルセンターは労使政委員会への政策参加が難しくなった。

 (民主労総:第2期労使政委を脱退、第3期不参加、韓国労総:第2期条件付脱退表明)

◎使用者団体

・第1期労使政委については、基本的に反対せず使用者側の要求の反映を望んでいた(延世大学経済学科K・H教授、韓国労使問題協議会C・S会長への面談調査、 1999.9.8.)

・しかし第2期労使政委では、失業対策や不当労働行為防止、労働3権保障、財閥改革等、企業の立場では負担になる内容の項目が論議の中心になったため、経総内部では労使政委員会の参与に対して反対する意見が増え、使用者団体の参与の姿勢が消極的になった[韓国経総K・J経済調査本部長への面談調査、2001.11.6.]。

 

2.マクロ・コーポラティズム構築への前提条件の不備

 

(a)利益代表としての労組の限界性

 

◆ナショナルセンターの政策力量の脆弱性

(背景)労働組合組織率・組合員数の低下、労組の中央集権度の低さ(企業別体制)

 労使政委員会で協議に備えてナショナルセンターは専門的で洗練された政策を提起する力量が必要であるが、人的・物的制約によって政策力量の限界があり、その結果、新しい代案を提起するよりは「整理解雇反対」、「構造調整反対」のような政府の政策に対する反対のみ重視する印象を与えるようになった[尹辰浩、 1999b、p.39]。

 

◆労働組合運動の分裂状態(韓国労総 vs 民主労総)

 複数のナショナルセンターが存在すればそれだけ労働者の利益代表としての意見統一が難しくなる。また、民主労総内部の路線分裂も深刻で、利益代表としての意見収斂を困難にした。

 

(b) 政権の保守性

 

◆社会民主主義政権の不在

 マクロ・コーポラティズムを経験した国の与党は一般的に社会民主主義政党であるが、90年代末まで韓国では社会民主主義政党が政権を握ったことはなかった。

◆金大中政権

 金大中政権は中道的な性格を持つ国民会議と保守的性格が強い自民連の連立政権として誕生した。少数与党として発足した金大中政権では、経済分野は自民連の閣僚が、非経済的分野は国民会議の閣僚がそれぞれ担当したため、金大中政権の経済政策は保守的・親資本的性格を持つようになった[尹辰浩、 1999b、pp.37-38]。

 

3.ミクロ・コーポラティズム構築の失敗

 

◆ミクロ・コーポラティズムの構築基盤の脆弱性

◎韓国企業の特性

 韓国企業は、与えられた経営外的な条件下で短期的な利潤極大化のみを追求するのみであり、人事管理では長期的な労働力受給計画も無く臨機応変に従業員を採用する傾向が強かった[キム・ファンジョ、1995、p.382]。そして、経済危機による急速な経営状態の悪化に対する至急の対策が必要であったため、労使紛糾が深刻化する可能性があっても雇用を削減する戦略をとった。

◎韓国労働市場の特性と労働者の意識・性向

 韓国にも年功制は存在したが、長期雇用については、1987年以降大企業を中心に長期雇用的な慣行が定着し始めただけであり、日本の終身雇用制のような長期雇用慣行は存在しなかった。また、転職をしても外部経験年数が年功制に反映され、内部昇進の可能性も高くはない。そのため、雇用保障に対する労働者側の信頼はそれほど高くなく、もっと良い賃金・労働条件が備わった企業があれば転職するという考えが残っている。

◎企業別組合への影響

 したがって労働者は、短期的賃金決定行動をとり、労組に高い賃上げを要求するよう求めるため、労組は高い賃上げを実現することが労組の威信と正統性を立証する重要な指標になった[李?珍、2000、 p.224]。したがって、韓国の企業別組合の場合は賃上げ要求の自制路線をとるのが極めて困難な環境にあったと言える。

 

◆経済危機以降の団体交渉

 (1998年) 労組:賃上げ要求自制路線、譲歩交渉による雇用維持の試み

 企業:雇用削減路線→労組側にとって譲歩交渉の実益なし、失望感

 (1999年) 労組:「奪回交渉(give-back bargaining)」→実質賃金上昇率11.1%

 ∀

賃上げ抑制と雇用維持の交換を機能とするミクロ・コーポラティズム構築の失敗

 


Ⅵ.むすびに代えて

 

 本研究を通じて、1990年代以降韓国の労使関係においてデュアリズム的性格が深化し、デュアリズムの深化がネオ・コーポラティズムの構築を困難にしてきたことが確認された。

 企業がデュアリズム的戦略を展開していく中で、労働組合組織率が低下するなど労働組合運動の弱化傾向が見られ、マクロ・コーポラティズム構築の障害要因となった。また、韓国では親労働者政権が実現せず、労働組合運動の組織体系も企業別組合を中心に分権的に編成されていた。したがって、韓国では労働者階層「全体」の利益を要求するための「完全な」マクロ・コーポラティズム構築のための条件がもともと存在していなかった。その結果、韓国において模索されたネオ・コーポラティズムは正規職労働者を中心とした「部分的な」マクロ・コーポラティズムの性格を有していたと言える。なぜなら、労働組合組織率が低い韓国においてマクロ・コーポラティズムに参与できるのは、労働者全体のうち低い比率しか占めない組織労働者のみであるためである。そして、労組は民間大企業を中心に組織されているために、中小企業労働者、非正規労働者、外国人労働者等はマクロ・コーポラティズムの枠組みから排除されているのである。

 したがって、韓国におけるマクロ・コーポラティズムの「部分性」は同時に韓国におけるマクロ・コーポラティズム模索の限界性を表しているとも言える。「部分的」マクロ・コーポラティズムが労働者階層全体の利益を反映できるようにしようとすれば、非正規労働者や中小企業労働者等の労働条件や組織化の問題が改善されなければならないであろう。しかし、韓国において社会的合意が模索された1990年代以降、賃金格差はむしろ拡大し、中小企業労働者や非正規労働者等の組織化の問題も改善されなかった。

 そして、1990年代以降韓国では労働組合組織率は低下し、「部分的」マクロ・コーポラティズム機構の基盤である労組部門の比率がさらに縮小していった。したがって、韓国の労使関係はマクロ・コーポラティズムの性格よりはデュアリズム的性格がさらに強まっており、デュアリズム的性格の深化はマクロ・コーポラティズムの発展を阻害する要因になったと考えられる。

 

図表1 韓国における就業上地位別労働者 (単位:千人、%) <省略>

図表2 従業員規模別による労働者の構成割合 (単位:千人、%) <省略>

図表3 事業体規模別の賃金格差(月額) (単位:千ウォン) <省略>

図表4 韓国における外国人労働者の構成 (単位:人) <省略>

図表5 外国人と韓国人の賃金格差 (単位:ウォン、%) <省略>

図表6 韓国企業における過去3年間の非正規職労働者の採用経験 (1996年基準; 単位:%) <省略>

図表7 韓国企業における過去3年間に実施経験のある雇用調整の方法 (1996年基準;単位:%) <省略>

図表8 経済危機直前・直後の韓国における雇用調整状況(単位:%) <省略> 

図表9 98年8月現代自動車における雇用調整の合意内容(単位:人) <省略>

図表10 韓国における労働組合組織率と組合員数の推移 (単位:千人、%) <省略>

図表11 韓国における非正規職労働者と労組の関係(労働者への調査)(単位:%) <省略>

図表12 事業体規模別の従業員数と組合員数(1995年) <省略>

図表13 一般銀行における正規職と非正規職の構成 (単位:人) <省略>

 

 

 

第58回 2004年7月3日(土)17:00~19:00 OICセンター教室

 

 

韓国社会階層の構造変化

-危機以後の中産層を中心に-

 

裴 光 雄

(大阪教育大学助教授)

 

1.はじめに

 

 韓国の経済発展における中産層の生成・拡大は経済的帰結であったと同時に、逆にまた中産層は更なる一層の経済発展を導いた「担い手」となった。この中産層の生成・拡大こそが、先進的でかつ比較的平等な現代社会の実現を可能にした。そして、他の発展途上国に対して、韓国の経済発展過程が有効な開発モデルとして提起されうる、最も重要な経済的達成の一つでもある。

 本報告では、このように韓国の経済発展の帰結であり、推進者でもある中産層の生成・拡大過程の様相をまずは分析・把握しつつ、その要因と含意を検討する。次に1997年の経済危機以後、韓国の中産層は大きく動揺し、社会的葛藤も激化したが、危機以後、中産層の動揺とそのことによって生じる社会的葛藤は、いかなる様相を呈しているのか、描き出したい。

 

2.産業化・都市化・社会変動と中産層の生成・拡大過程

 

(1)第一次経済発展五カ年計画の開始から「ソウルの春」まで

産業化・都市化と中産層

 政府は輸出増大を達成する比較優位産業として、60年代初頭から70年代半ばにかけて、繊維・履物・雑貨などの労働集約的産業を育成した。70年代後半からは鉄鋼・造船・石油化学などの重化学工業化を推進し、これらの部門によって牽引される産業化が進展した。事実、韓国の産業構造(経常国内総生産基準)は60年には農業と製造業の比重がそれぞれ36.8%と13.8%であったのが、70年には26.6%・21.0%へ、80年には  14.7%・28.2%へと高度化している。韓国はこの期間、伝統的農村社会から近代的都市社会へと大きく移行・変貌した。

 韓国社会は産業化にともなって都市化も大きく進展し、韓国の都市数及び都市化率は1960年27都市・28.0%から70年32都市・41.1%へ、そして80年40都市・57.3%へと急速に上昇した。チェ・ジョンホンの研究に拠れば、60年代以降の都市化はそれ以前とは異なり、産業化と経済発展との関連を形成しつつ、「近代的都市化」の性格を本格的に有するようになった。産業化に従って都市地域では雇用機会が増大し、農村の農業従事者達に雇用機会を提供した。70年代の都市化は国の重化学工業化の育成政策によって、東南海岸に工業団地が形成され、新興工業都市の発展をもたらした。首都圏の広域化・肥大化をもたらす、ソウルの近郊の幾つかの郡地域が都市へと昇格し、急成長したという。

 農村から都市への人口移動及び、移住先都市での就業形態(世代内、世代間の変化も)を詳細に分析・検討しなければならないが、いずれにせよ産業化にともなう都市への人口集中が、一方でいわゆる都市インフォーマルセクターの肥大化を伴いつつも、「都市中産層」という階層ないし集団を生成・拡大したのである。

 

産業部門別・職業別就業構成の概略的分析-新中産層の析出-

 産業部門別就業者数・割合の動向は第一次産業、第二次産業(うち製造業)、第三次産業が1960年にはそれぞれ65.7%、9.3%(6.9%)、24.2%であったのが、重化学工業化政策が展開されていく1970年代半ば(75年)には、534万人・45.7%、274万人・23.5%(218万人・18.6%)、361万人・30.9%と推移した。80年には465万人・34.0%、392万人・28.7%(296万人・21.6%)、511万人・37.3%となった。

 1960-80年にかけて農林水産業就業者の割合は大きく縮小するだけでなく、70年代後半以降その絶対数も減少した。他方、製造業及びサービス就業者はその割合と絶対数を大幅に増大した。このような数字の推移は大まかな産業部門別の動向分析であり、各産業部門内のよりミクロな動向分析が必要であるという限界性を十分に認識したうえで、同期間にまず明らかに生産職労働者、いわゆるブルーカラーが大量に創出されたことを推量しうるであろう。このことは統計庁の「経済活動人口年報」における職業別就業者構成比を見れば、さらに明らかである。「生産・運輸装備運転士・単純労務職」に分類される就業者の構成比が60年13.2%から70年20.2%へ、そして80年29.0%へと増大していることからも、いわゆるブルーカラーの労働者階級の量的拡大を端的に示している。

 社会階級・階層分析及び研究から中産層の範囲・領域を規定するのに、上記と同様の職業別就業構造から把握される場合、「専門・技術・行政・管理職」及び「事務職」が中産層に帰属し、「販売サービス職」は除かれる(労働者階級に分類されるため)のが通例であるようだ。いわゆるホワイトカラーの中産層、すなわち新中産層の範疇としてこの分類基準を使用すれば、この20年間(1960-80年)に韓国の新中産層は7.2%から14.6%へと、労働者階級の成長には及ばないものの、構成比2倍以上の上昇を示している。

 

階級・階層構造分析の諸研究と中産層規模の推定結果

 中産層全体の規模と変化の析出のために、既存の先行研究を考察すれば以下の通りである。韓国の代表的な論者である3名の学者の研究をまずフォローすれば、この期間(1960-80年)、徐寛模が14.8%から25.8%(新中産諸階級4.3%→8.7%、非農自営業者層7.5%→17.1%)、洪斗承は19.6%から38.5%(新中間階級6.6%→17.7%、旧中間階級13.0%→20.8%)、金泳謨は72.4%から53.1%(新中産層6.8%→17.3%、旧中産層65.6%→35.8%)と提示している。

 80年時点で中間層の規模を最も大きく把握しているのは、金であるが、それは彼が自営農民を旧中産層に含めているからである。したがって、変化の趨勢では徐と洪とは異なり、旧中産層(特に自営農民)が大幅に減少、彼の言葉では急速に没落することによって、中間層全体の規模も大きく縮小していると主張する。徐と洪は数字上の差異はあるが、中産層全体規模の変化としては同じ傾向、すなわち成長・拡大傾向を呈している。

 韓相震は独自のサンプル調査によって、中産層規模の析出を試みている。彼の分析方法は客観的と主観的基準(指標)による分析、そして両者をクロスした複合的モデル分析である。前者の客観的基準分析は経済的基準(所得変数)分析と社会的基準(職業、教育、住宅変数)分析から成っている。韓は経済的基準からは80年時点では非農家世帯の53.9%、社会的基準では52.4%、両者を共に充足する客観的基準では36.1%、主観的基準(個人の帰属意識)では42.2%、これらの総合である複合的モデル分析では27.2%と推算している。

 

(2)80年代以降-「第二の飛躍」・民主化・労働大争議を経て危機まで-

新中間層の増大・躍進

 80年代以降の中産層の様相変化を上述の職業別就業者構成比に加えて、賃金水準から考察する。職業分類が変更されたため、時期区分して捉えなければならない。80年代初から90年代初(1983-92年)にかけては、「専門、技術、行政、管理者」及び「事務職」の合算構成比が17.6%から24.4%へ、90年代初から末(93-99年)にかけては、「立法者、高位役職員及び管理者」「専門家、技術工及び準専門家」「事務職」のそれが27.5%から30.0%へ上昇している。そして、2001年には「議会議員、高位役職員及び管理者」「専門家」「技術工及び準専門家」「事務従事者」の合計値は30.6%となっている。

 これらの数値推移は職業分類基準が2度変更されたため、厳密には留意がいるが、この約20年間に新中産層は絶え間なく増大し、今日の韓国社会においては最も主要な社会階層を形成するに至ったといえよう。 

中産層の所得(賃金)水準

 これまでの筆者による考察及び先行研究(徐、洪、金)では、基本的に職種を階級・階層分析の大きなファクターとして利用し、中産層の範囲(範疇)は主に職種によって規定・定義されていた。けれども、先述した韓の研究考察でも見たように、中産層の範囲規定は幾つかのファクターから把握されなければならない。職業、雇用、所得、学歴(教育)、住宅、財産、主観的帰属意識などである。これら幾つかのファクターの中でも職種と同様に重要なのは、所得である。ここではまず職種によって規定・析出された新中産層の賃金水準を明らかに推察する。

 今日では、新中産層ホワイトカラーの下位階層である「事務職」の賃金は、生産職ブルーカラーの下位階層である「単純労務職」や中位階層の「サービス職」よりは高いが、上位階層の「技能員・装置機械操作員」に対しては殆ど同水準である。

 

3.危機以後、中産層の動揺と社会的葛藤の深刻化

 

(1)社会階層の二極分化と中産層没落

統計庁の資料等による社会階層分析と中産層の動向

 いずれにせよ統計庁による、先のジニ係数の推移から次のことが推察される。①80年代後半、韓国社会の所得不平等は緩和したこと。②90年代以降は危機発生以前に既に、所得不平等が拡大傾向にあったこと。③今日の韓国は87年民主化及びその後の労働大争議以前と同水準の所得格差の大きい社会となっていること。

 IMFが強制した緊縮財政・高金利政策は財閥系大企業でのリストラと中小企業の倒産による膨大な失業を発生させ、生活の糧を殆ど勤労所得によって賄っている下位層や中産層を直撃した。だが、いわゆる持てる者である最上位層は金融資産所得の増加によって、全体としてもプラスを実現し得たのである。

 このように中産層の所得範囲をいかに範疇化するかに拘わらず、危機以後は下位層はおろかまさに中産層も大きな経済的打撃を被った階層であることを示している。

 

(2)中産層は現代韓国社会をいかに捉えているのか

学歴別所得及び主観的階層帰属意識の考察

 以上の考察結果から暫定的結論として、危機以後の今日の韓国社会は学歴による所得格差が再拡大し、まずは大学進学が中産層参入へのキップとなっており、院卒者は高所得者層への道標であることを物語っている。

 次に、中産層を分析・考察するアプローチとして、客観的経済・社会指標のみならず、主観的階層帰属意識が重要である。韓国人の主観的階層帰属意識に関する最近の先行研究として、キム・ビョンジョの論文を参考にすれば、彼は下記の通り結論を述べている。

 ①1980年代以後、過去20年間の中間層帰属意識推移を要約すれば、1980年代は大きな変化はなかったが、1990年代中盤以後は帰属意識は拡大したと言える(中産層帰属意識を持っている比率は36.2%、但し中産層帰属如何を問う質問に「分からない」という応答が1/5に至る)。②中産層帰属意識は所得水準は勿論、教育水準によって影響を受けているという点が確認された(中産層の生活を営為できなくても大学以上の教育水準を有する場合、中産層帰属意識を持つ場合が40%程度)。③階層構造イメージ面では韓国社会がダイヤモンド型階層構造を成していると見る者が過半数であった。次にピラミッド型階層構造を有しているという者が1/3であった。そして、社会に対する階級構造イメージと主観的階層帰属意識が関連していた。上層帰属意識を持つ者が韓国社会を安定的に見ており、下層階級意識を持つほど韓国社会が不安定な社会だと見ている。④主観的階層帰属意識を決定する客観的変数としては所得が最も重要で、次いで教育水準、職業の順であった。しかし、客観的変数以上に生活満足度という主観的変数が階層意識を決定づけるのに、大変重要だということが分かった。⑤主観的階層帰属意識に対する分布は社会不平等を構成する他の要素に対する分布より「中間層」に集中している。

 

中産層の政治意識における二面性と現代韓国社会への批判

 キム・ドヨップはこれまでの諸研究を大きく3つの類型に分類している。①中産層の保守性を主張する研究者達は韓国の中産層を過去、産業の高度成長期に実質的な経済的受恵階級として形成されたと主張する。  ②中産層の進歩性を主張する研究者は韓国の中産層を経済的には受恵階層であるかも知れないが、政治的には他の階層と同じく阻害された階層であると主張する。③一方、中産層は保守性と進歩性を同時に内包しており、政治・経済的状況の変化によって適切に対応すると主張する。

 キムは、このように研究者達は中産層の属性に対して、相違した見解を持っていると述べ、自身の見解はほぼ③に近いようである。すなわち、韓国の中産層、特に都市中産層は産業化とともに継続して増加しつつ、権威主義政治に対する批判階層としての役割を遂行してきた。結局、韓国の中産層は改革志向的性向とともに、漸進的変化を選考する集団と見ることができ、彼らの政治参与及び意識水準の性向は大変高いものと規定することができる、と論じている。

 最後に、「中産層の役割定立」として、大きく2つの役割を区分して、①社会変革の主体としての中産層、②市民社会の主体としての中産層、が今後求められるという。文章は、次のような言葉で締め括られている。

 今日、中産層は民主化運動は勿論、既存の市民運動において度外視された人権運動、女性運動、環境保護、地域感情解消等の場を形成していかなければならない。このようにする時、韓国社会の中産層は市民社会の中枢勢力として、変革の主体としてその役割をありのままに遂行することができるのである、と。

 

4.おわりに

 最後にまとめれば、韓国中産層は近代化の経済開発過程で生成・拡大してきたと同時に、経済発展そのものを担い、民主化運動、その後の市民社会運動を牽引していった主体勢力である。危機以後、IMF事態といわゆるV字型回復を経て、今日の韓国社会は世界的潮流と同様に、熾烈なグローバル化と新自由主義的イデオロギーによって支配されつつある。このような厳しい時代の中で、中産層が没落・逃避していくのではなく、彼らが量的にも質的にも厚く形成・発展する社会こそが、これからの韓国社会に求められる姿であろう。また、中産層自身が市民社会を正しい方向へ導いていく時にのみ、それは達成されるであろう。

 

 ※なお、本報告は朴一編『変貌する韓国経済』世界思想社、2004年近刊の所収論文第3章「中産層」にて全文掲載の予定である。


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 【科学技術部会研究会報告】

 

第25回 2004年3月13日(土)17:00~ OICセンター会議室

 

 

Local Nonequiilibrium Effects in Kinetic Theory

気体分子運動論に見る局所非平衡の効果

 

金 賢 得

(京都大学大学院 人間・環境学研究科)

 

 

 強い非平衡流によって局所的にも非平衡流の影響が無視できないとされる非平衡状態(局所非平衡状態)を記述する非平衡熱力学や非平衡統計力学の構築は、現代の非平衡統計物理の主要なテーマである。

 講演者は、気体の非線形輸送現象を通してそこに発現する局所非平衡の効果を微視的な観点から検出し、その特徴を考察した。

 この目的のために講演者は、温度勾配下の定常Boltzmann方程式の剛体球分子に関する2次摂動解を導出することに初めて成功した。

 講演者はこの2次摂動解から諸熱力学量を計算し、それらをMaxwell分子や定常BGK方程式からの結果と比較することで、気体の非線形輸送現象における熱力学量に気体の分子モデルや運動論方程式に依存した定性差が出現することを発見した。

 そして、剛体球分子とMaxwell分子の間の定性差がBoltzmann方程式の衝突項が簡単化するというMaxwell分子の特殊性に起因することをつきとめ、Maxwell分子およびそれと定性的に一致する定常BGK方程式が現実の気体を定性的にすら記述できない場合があると結論した。 

 さらに講演者は、自ら導出した定常Boltzmann方程式の剛体球分子に関する2次摂動解を用いて、熱流が気相化学反応の化学反応率に与える影響を初めて計算した。

 これは非平衡流(熱流)によって化学反応率が平衡での値からずれるという現象であり、シンプルな気体系において局所非平衡の効果を導出したことになる。

 また、定常Boltzmann方程式の2次摂動解が化学反応率の非平衡補正に本質的な寄与をすることを発見し、定常Boltzmann方程式の2次摂動解が局所非平衡の効果を体現する物理的に重要な解であることを示唆した。

 加えて講演者は、上記の定常Boltzmann方程式の2次摂動解を用いることで、局所非平衡状態を記述する目的で提唱された非平衡熱力学や非平衡統計力学の検証を行った。その検証結果を受けて局所非平衡状態を記述しうる非平衡統計物理の枠組みの構築可能性を本講演の中で考察する。


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● 事務局からのお知らせ ●

 

 1996年度から日本支部の日常活動のために尽力してきました金文子氏が、今年の3月をもって退職しました。

 この間の献身的な努力に対して、会員一同とともに感謝したいと思います。

 長い間お疲れさまでした。

 

● 編 集 後 記 ●

 

 5月の特別講演会は、『韓国の労働者』の著者ハーゲン・クー教授をお招きする予定でしたが、来日が不可能になったのはまことに残念なことでした。当日は、約40名の参加のもと、翻訳者の瀧澤秀樹・高龍秀両氏や金元重氏の報告が行われ、充実した会合となりました。同書は60年代から今日にいたる韓国労働運動の全貌を分析した力作です。ぜひご一読を。(K)