日本支部通信 第17号(2002.10)

第1回世界KOREA学大会
(The 1st World Congress of Korean Studies)


2002年7月18日(木)~20日(土)韓国精神文化研究院
〈主催〉韓国精神文化研究院 国際高麗学会 欧州韓国学会 豪州韓国学会
〈協賛〉大阪経済法科大学アジア研究所、中央アジア韓国学会(CAAKS)
〈後援〉全国経済人連合会 〈主管〉韓国精神文化研究院

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巻頭言

よりコリア学的なものへ
宋南先(国際高麗学会会長)

 

日朝国交正常化への重い扉が、歴史の醜い暗部をさらけ出しながら、開かれようとしています。このことへの評価は、一言語学者としての私の能力をはるかに超えています。私はただ、いわゆる「歴史」というものが動いたとされるたびに、それが巨大な車輪のように「周辺」や「底辺」を無感情に踏み潰していくという冷酷な現実を前にして、暗澹たる思いにかられます。そのさまは、まるで「歴史」という概念自体が、周辺でも底辺でもない普通の人々を、「周辺」に押しやり、片づけてしまうための壮大なレトリックであるかのようです。それでもやはり、この厄介な歴史というものは動いていったほうがよいのでしょう。
会員のみなさん。
去る7月、国際高麗学会が、韓国精神文化研究院、ヨーロッパ韓国学会、および豪州韓国学会との協力の下、ソウルで開催した第1回コリア学世界大会は、国際高麗学会の存在意義を世界に広く知らしめるうえで、またとない貴重な機会となりました。
私たちの学会は、いまやソウルとピョンヤンを含む、世界5地域に支部を持つコリア学最大規模の学会となりました。また、世界大会期間中に開かれた国際高麗学会第5回総会では、長年の課題であったヨーロッパ支部の結成が採択され、英国オックスフォード大学、ロンドン大学を中心に、役員が選出されました。今年度中には、ヨーロッパ支部の活動が始まるものと期待しています。このように大きく成長した国際高麗学会は、今後、コリア学を発展させる担い手として、その内実をますます厳しく問われることとなるでしょう。
この紙面をお借りして、国際高麗学会が進むべき方向性について、私の感じているところを述べたいと思います。それらのほとんどは、私の意見というよりも、会員の方々や先輩諸氏から示唆していただいた、いわば請け売りにすぎません。
韓国精神文化研究院の張乙炳院長は、コリア学世界大会の開会辞のなかで、韓国学とは、外からは、朝鮮半島における広い意味での文化やそこに暮らす人々、そしてそこから派生する様々な現象を、世界の人々が理解するうえでの指標となるべきものであり、内からは、世界に対して韓国がどのように見えているのかを客観的に映し出す鏡であると指摘されました。正鵠を得た表現だと思います。
なにをもってコリア学とするのかという、定義についての議論を時々耳にしますが、私自身あまりそのような議論が実りあるものとは思えません。というのも、これと、これをもってコリア学となす、といったような必要十分条件などないと思うからなのです。おそらく、コリア学という概念は、様々な構成要件によって形作られており、その多くの要件を満たしている極めてコリア学的なものを中心として、多様な程度のコリア学的なものをすそ野として持つプロトタイプをなしているのでしょう。言い換えれば、コリア学というものは、一つの領域というよりは、一つの志向なのでしょう。
もしコリア学というものが、外にあっては、コリアを理解するための指標であること、内にあっては、自らを映し出す鏡であることをその使命とするならば、それは、歴史学、政治学、言語学というような個別科学とは一線を画する地域学として、コリアにおける政治、社会、教育、言語、芸術、科学技術等の様々な現象、すなわち、コリアという現象を総体として理解することを目標とするということに他なりません。
コリア学がコリアという現象の全体的把握と理解のための学問であるとするなら、それはなによりも、そのアプローチにおいて学際的でなければなりません。日本支部代表、文京洙先生がかつてこの紙面で指摘されたように、今日、コリアを取り巻く現象のなかで、既存の学問領域を乗り越えた、学際的思考と協力なしに、適切な理解ができるものはさほど多くはないでしょう。
このような学際的試みの一つとして、90年代における「コリアネスク」に関する学問的高揚があげられます。なにをもってコリア的と見なすのか。中国的でもない、日本的でもない、コリアという文化を特徴づけるキーワードの模索が、文学研究者、芸術家、文化人類学者、言語学者等、様々なジャンルの研究者たちの共同作業によって続けられました。この背景には、韓国における観光産業からの要請等の経済的要因もあったのでしょうが、なによりも民主化を成し遂げた韓国国民のプライド、すなわち、冷戦、内戦、弾圧、闘争といったようなキーワード以外にもコリアについて語られるべきものがあるだろうという韓国人の自負心があったのでしょう。ちなみに、このコリア学の新しい潮流は、それまで欧米の大学や研究機関において、日本学や中国学の付属物のような地位に甘んじていたコリア学が、韓国政府の支援によって、独自の地位を獲得したのと時を同じくしています。
コリア学がコリアという現象の総体的理解を目指し、その学際的研究を深めていくうえで、ぜひとも必要な作業のひとつが、学問的ジャルゴンの抑制ということでしょう。個別領域での学問研究を厳密な専門用語と概念をもって構築するということは、その研究に対する反証性を高めてくれると同時に、他の領域との間に高い壁を築くことにもなるのです。一人の研究者がコリア学の場で発表する場合、できる限り他の領域の研究者と交流可能な言葉と文体を使うことが望ましいのではないでしょうか。
コリア的なもののアイデンティティとは、当然他者との比較なしには成り立ちません。同時に、コリア学の成果は日本学や中国学、あるいは東南アジア学といった他の地域学研究に資するものでなければならないでしょう。地域学間の交換性ということを考えるとき、研究成果をあらわす言語という問題に直面します。アジアの諸地域を研究する人々が、皆すぐれた多言語使用者であれば問題がないのでしょうが、そのような状況は今後とも実現しないでしょう。とすれば、好むと好まざるとにかかわらず、多くの研究が英語によって発表されなければならないということになります。このことは、当然、個々の研究者が自らの第一言語や得意な言語によって研究成果を公にする権利を否定するものではありません。しかし、コリア学の国際性ということを考慮するとき、やはり学会としてはできるだけ多くの研究成果が英語によって発表されるよう努力すべきだと思うのです。
コリア学の重要な特徴として最後に挙げておきたいものが、現実主義的アプローチです。例えば、ある研究者がひとつの理論、あるいはモデルの妥当性を検証するために、それをコリアに適用するとしましょう。このような演繹的アプローチは学問研究としては十分に正当性を持つものです。しかしながら、それはコリア学的だとはいえないでしょう。あらゆる理論は、それが説明できる事象の範囲を厳しく限定するものですし、その理論にとっての優先的な課題は、コリアやコリア学にとっては当面の課題ではないかもしれないのです。コリアやコリア学にとって重要なことは、現実にある問題に対して、理論的枠組みがなんであれ、とりあえずベストな答えを出すということなのだと思います。誤解を恐れずにいうならば、コリア学は、その方法において折衷的であることが許されるのだと思います。
このような諸要件が、ひとりの研究者のなかで結実することはまれでしょう。そして、そこにこそ個々の知を統合するシンセサイザーとしての国際高麗学会の存在意義があるのです。私たちの学会は、このようなコリア学的なものを目指すうえでも、あくまでも志向的です。国際高麗学会は、今後も幅広い研究を網羅しつつ、同時によりコリア学的なものへの強い志向を打ち出していかなければならないと思います。
国際高麗学会の活動がいよいよ注目される大事な時期に、思いもかけず会長という重責を担うことになり、不安がつのるばかりです。皆様の一層のご支援を心よりお願い申し上げます。


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第1回世界KOREA学大会

〈主題〉

コリア文化の中の外国文化、外国文化の中のコリア文化
(Embracing the Other:The Interaction of Korean and Foreign Cultures)
〈趣旨〉

・コリア文化と外国文化の関係に関する探求およびコリア文化と外国文化の比較研究を通じて、コリア文化の特殊性を理解すると同時に、世界文化との対話の可能性を模索する。
・世界各地域のコリア学関連団体の相互関係を深め、研究結果を共有することによって、コリア学の裾野を広げると同時に、世界コリア学研究共同体を構築する。
・20世紀におけるコリア学の成果を確認し、21世紀のコリア学が進むべき方向性を探求する。

 

program

 

2001.7.18(木)
10:00-10:30 開会式
10:30-11:00 EncyKorea(デジタル韓国民族文化大百科事典)試演会
11:00-12:00 基調講演
Werner Sasse:AKSE会長
(コリア学の地平拡大:内的視覚から世界文化的視覚に)
Haechang Choung:韓国精神文化研究院大学院長(現代において相互性と世界化:自我と他者間で)
12:00-13:00 昼食
13:00-13:30 招請講演
・滝沢秀樹 大阪商業大学教授(韓国の民族経済論と日本の比較経済史学)
・金鎭宇 米国イリノイ大学教授(翻訳:他文化の先導者)
13:30-18:00 パネル別発表・討論
18:00-19:20 教育部長官 歓迎晩餐会
19:20-20:00 朝鮮時代ソンビ衣装ファッションショー
20:20-21:00 コリア学情報化マダンⅠ: “INSTROK”試演会


2002.7.19(金)
9:30-12:00 パネル別発表・討論
12:00-13:30 昼食
13:30-18:00 パネル別発表・討論
18:00-19:20 韓国精神文化研究院長 招請晩餐会
19:20-20:00 コリア学情報化マダンⅡ:コリア学情報化の現況と展望
20:00-21:30 民俗音楽公演


2002.7.20(土)
9:00-11:00 コリア学VISION21
シンポジウム Ⅰコリア学の現況と展望 Ⅱ統一のためのコリア学
11:00-11:30 閉会宣言
11:30-12:30 昼食
12:30- 韓国文化探訪(江華島)


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『コリア文化の中の外国文化、外国文化の中のコリア文化』論文集より
〈第1回世界コリア学大会で報告された会員の先生方です〉

7.18(木)13:00-13:30 招請講演
韓国の‘民族経済論’と‘日本の比較経済史学’ 滝沢 秀樹(大阪商業大学) 
はじめに
1.“民族経済論”の現住所
(1)global化時代の民族経済論
(2)民族経済論と“朴玄経済学”
3.‘民族経済論’における“国民”と“民族”~先行理論との関係~
(1)“民族”の規定をとりまいて
(2)‘比較経済史学’における“国民経済”
4.朴玄氏の民族経済論での‘資本主義’と‘国家独占資本主義’
(1)“朴玄経済学”における‘資本主義’
(2)‘国家独占資本主義’論
5.脱冷戦時代における“民族”の位相と民族経済論~新しい地平に向かって~
(1)国民国家の統合と分解
(2)‘民族=ethnicity’の重要性

7.18(木)13:35-14:25 歴史
壬辰倭乱期の倭城「連結城」について 金 泰虎(甲南大学) 
問題の所在
1.釜山からの上京路と日本軍の侵略路
2.傳達城及び連結城
(1)傳達城の位置
(2)連結城の位置
3.連結城の機能と役割及び朝鮮侵略の意図
4.結論

7.19(金)13:35-14:25 文学
韓国近代詩人の日本語創作に捏造した問題点 真田 博子(韓国仁荷大学) 
─朱耀翰、黄錫禹、鄭芝溶、金素月の作品について─
1.序論
2.各詩人の日本語作品について
1)朱耀翰(1900~1979)
2)黄錫禹(1895~1959)
3)鄭芝溶(1902~1950?)
4)金素月(1902~1934)
5)近代詩人達の日本語の実力について
3.白露の対立-感覚的象徴詩と有形的・形而上学的象徴詩

7.18(木)13:35-14:25 思想・宗教
崔漢綺(1803-1877)が見た西洋医書 金哲央(大阪経済法科大学) 
─Hobson(合信)の医書と崔漢綺の身機践験─


7.18(木)13:35-13:50 政治・経済
韓日貿易不均衡の本質:経済問題の政治的論点化 徐正根(山梨県立女子短期大学) 
1.はじめに
2.韓日貿易の推移
3.輸入先多角化
4.対日依存型 経済構造
5.未来志向的 韓日関係─結びの言葉に代わって

7.19(金) 9:35-10.25 政治・経済
在日同胞の在留権に関する歴史的考察 姜 徹(大阪経済法科大学) 
1.在日同胞の形成
(1)在日同胞の形成過程
(2)侵略戦争と在日同胞
2.解放後の在日同胞
(1)民族の解放と在日同胞
(2)在日同胞の生活実情
3.外国人登録法と出入国管理令
(1)外国人登録法と出入国管理令
(2)出入国管理令は在日同胞の追放政策
4.1950年代以後の在日同胞の在留権
(1)対日講和条約と韓日会談
(2)在日同胞と在留権
(3)出入国管理及び難民認定法

7.19(金)13:35-15:00 自由パネル
済州方言はどれくらい生存しているか? 白応鎭(大阪経済法科大学) 
はじめに
1.在日コリアンコミュニティ
2.韓国の済州方言
3.大阪の済州方言
3.1■[■]
3.1.1 第2音節■[■]
3.1.2 第2音節■[■]
3.2 ■[■]
4.現代満州語
結論

7.19(金)13:35-15:00 自由パネル
在日コリアンの言語接触現象:大阪市生野区の実例を通じて 金美善(日本国立民族学博物館) 
導入
1.生野区周辺の言語接触現象
2.一世の日本語
2.1.音声的特徴
2.2.音対用と社会的変数
3.一世の言語コード
3.1.混用コード
3.2.混用の頻度
3.3.混用コードの構造的特徴
3.4.混用の要因
4.個人コードからコミュニティに
結論

7.19(金)15:45-17:20 自由パネル
行為者指向構文と非行為者指向構文の非対称性 宋南先(大阪経済法科大学) 
1.序論
2.日本語の受益構文
3.行為者指向受益構文と非行為者指向受益構文
4.韓国語の受益構文
5.韓国語と日本語の被動文
6.結論

7.19(金)15:45-17:20 自由パネル
韓国語とモンゴル語形容詞反復構文 宋在穆(大阪経済法科大学) 
1.はじめに
2.韓国語の形容詞反復構文
3.モンゴル語の形容詞の反復現象
4.形態論的構成からの形容詞反復構文
5.鮮明になった語頭重畳からの形容詞反復構文
6.結論


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第1回世界KOREA学大会に参加して
金 哲 央

 

 ついに先祖の遺骸の眠る母国の地を踏むことができた、というのが帰ってからの実感である。
2年前の国際高麗学会ハワイ大会で、2002年の大会はソウルで、との決議がなされた時、「北からも来られる場所ですべきでないか 」との意見もあったが、また「解放」半世紀を経て、本国のどこかでというのも当然、という気持もあった。そして東京の総聯、朝大関係者は中央の「気持よく行っていらっしゃい」の声にはげまされ、7人の申請者のうち、高雲、金哲央、玄源錫、柳震太、姜徹の5人に「臨時ビザ」が出て、大会参加となったのである。
7月17日、午後5時からの高麗学会理事会には飛行機の関係で遅刻、会食には間に合い、皆さんと久闊の挨拶。さて、いよいよ18日、午前は開会式その他、午後の思想宗教分科会の3番目が小生の出番。前の2人が英語で発表、司会も英語でされる(なぜだろう?)ので閉口。英語で私の名を呼ばれ、発表を促される。私の題目は「崔漢綺が見た西洋医学書」。崔漢綺(1803-77)は実学派の最終期の1人で、かつ開化派の先駆者といわれる人。だれよりも早く中国で出版された多くの農書や西洋の科学技術書を入手し、それに基づいて多くの本を著作、編集した「新しがり屋」である。小論は崔漢綺が自己の書斎の名を付け「明南樓文集」巻1と誇っている彼の『身機践験』全6巻が、実は中国に来て長く活動した英国の医学宣教師Hobson(合信)の医書4種と初等科学書1種を編纂した、いわば彼なりの「西洋医学小百科」であり、それが彼によって切り張りされて、どのように全6巻がなっており、その引用文の前後の彼の文章がどのような性質のものか、を分析しようとしたもの。特に、合信は「空気は酸素、水素、窒素、炭酸ガスからなり、世界は56の元素からなっている」という説を述べているが、これに対する彼の反応を探ろうとしたのである。一言でいうと、東洋社会で数千年つづいた陰陽五行説に基づく彼の「気学」に対する満々たる自信のため、せっかく近代的実験に基づく近代原子論の革命的意義は正しく認識されず、合信の説の単なる引用紹介に終り、それが自分の「気学」に対する深刻な挑戦であるはずなのに、それが正しく受け止められていない、というのが私の当面の結論である。
これに対し質問は2つ。1つは崔漢綺の本が意外に日本に多く存在すると言われたが、それを説明してほしい。2つめは、崔漢綺が北で発見され、南で研究が豊富にされていると言われるが、崔漢綺研究史を簡単に紹介されたい、というもの。まず、崔漢綺の主著『人政』24巻は、1961年に小生が東京の東洋文庫で発掘し学界に紹介した著者親筆本であること。また、彼の最初の著作である『農政会要』は京都大学、河合文庫に唯一存在するもの、彼の『陸海法』は大阪府立図書館に、また彼の世界地理書である『地球典要』も愛知県の岩瀬文庫に存在すること等々。(つまり日帝の文化財略奪の深刻さ、である)
つぎに第二の、北の「朝鮮哲学史」(1960)で初めて紹介された崔漢綺は、北でも伝記はまるで知られていなかったが、成均館大の李佑成先生のご苦労によって、短いけれど画期的な「崔漢綺の家系と年表」という論文によって、かなり明らかにされ、そして今や崔漢綺研究の第二世代というべき当「精文研」の権五栄研究員らのグループによって一層深化され、小生も資料を送ってもらって感謝している……と言及するや、場内から声あり「権五栄さんはそこに来ていますよ」。入口の近くからは「ネエー、私が権五栄でございます」。小生は思わず「あー  そうですかうれしい 」。そして場内に笑いが走ったのであった。「それなら、その続きを権五栄さんにお願いしましょう」と私。権さんは「金哲央教授は1960年代の初めに崔漢綺の主書『人政』を日本で発見され学界に紹介された崔漢綺研究の大先輩であり、南で初めて崔漢綺を学界に紹介した朴鐘鴻教授も金教授の研究に触発されてと聞いております。李佑成教授の論文以後も、金教授の朝鮮学学術討論会(1989、大阪)での研究発表のレジュメなどを拝見しながら、私たちはやっと直系子孫と、その家に保存されていた未発表の諸論考を発掘することができました。それは金教授にもお送り致しましたが、今や整理を終り、まもなく印刷刊行されるでしょう……。」これは、まるで前もって台本を作っておいたヤラセの舞台のようで、小生も面目を施した次第。翌々日、権さんが連絡してくれ、直系子孫とお会いできたのであった。
翌19日は、学会に失礼して、東京組は朝から景福宮、仁寺洞骨董街、鐘路などで至福の時間を過ごした。20日、閉会式が終ると、張乙炳院長は我われ総聯系研究者のために昼食会を準備して下さり、直接、招待状をもってピョンヤンを訪問されたこと、また当局に我われの学会参加について積極的に努力されたことなどについてお聞きした。ついで、出発を遅らせ待っていてくれたバスに乗り、江華島歴史の踏査に。そしてそれは途中で切上げ、夜は昨日来、何度も連絡をくださった前哲学会会長で、92年の学会に我われを招待するため、自ら朝鮮大学校を初めて正式訪問された蘇光ソウル大名誉教授の待つ食堂に急いだのである。
翌21日は、これまた2001年、韓国哲学者大会を主管され、小生と玄源錫教授を招待して下さった圓光大学校金道宗教授の待つ全州へと道を急いだ。昼食は有名な全州ピビンパッ。そして徳律公園、さらに韓国彌勒仏信仰の大本山、金山寺に。夜は伝統家屋保存区域にある食堂で伝統料理の接待を受け恐縮した。
22日、圓光大学校を訪問。新聞、放送部のインタビューを固辞して大邱に向かう。大邱、今は市に編入されている達城郡花園面は小生の故郷。このたびは学会参加のみに目標をしぼり誰にも通知はしていない。故郷は高速「西大邱I・C」となり、周囲は高層アパートの林立である。タクシーによる大邱郷校と達城公園のみの一覧で他は断念。夜の闇をついて慶州に向かう(これは後に旧知の前哲学会副会長宋相庸教授にきびしくとがめられることとなった)。
翌23日、午前はいよいよ石窟庵と仏国寺参拝。これまで何度も何度も文献に当ってきた所である。ガラス越しに本尊の釈迦如来像に深く一礼。昼近く山を降り、昼食を抜きにして聖徳大王神鐘、雁鴨池、芬皇寺、瞻星台。久しぶりの青空を背景に聳え立つ瞻星台。千年の歴史をもつ建造物である(その機能と性質をめぐる論争は小生の『新しい世代』1996年5号を参照)。そして最後に天馬塚。以上で未練を振り切りバスに乗ってソウルに向かう。なぜなら6時にソウルのバスターミナルに成均館大の呉錫源教授の車が待つからだ。退勤の車のこみ合う中を、ソウルっ子の呉教授の見事な運転と土地勘によって無事、旧知の徐遥教授たちの待つ鐘路の食堂に。ここでも歓待と今後の交流についての提案を受けた。深夜、再会を約してお別れ。
翌24日、昼近く同宿の人たちを送り、小生は一人ソウルの土を踏みしめながら明洞聖堂、東大門、パゴタ公園などを巡った。ついに3時、鐘閣のホテルを出発。18時40分発の飛行機は成田に21時着。めまぐるしい再会と出会い。よく管理された山野に四通八達の交通網、活動的な人々の生活する有様。忘れられない印象を残した1週間であった。
この機会を与えて下さった国際高麗学会よ、ありがとう。

(大阪経済法科大学 客員教授) 


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在日コリアンの言語接触現象
──大阪市生野区の実例を通じて──(要旨)
金 美 善

 

 本発表は、在日コリアンの言語接触現象を、大阪市生野区周辺をフィールドとしてその実態を明らかにするものである。
大阪市生野区周辺は日本全体の在日コリアン人口の約1割が生活する日本最大の在日コリアン密集地域である。そこに生活する在日コリアンは、言語の面から韓国語を母語とする一世と日本語を母語とする二世以降の世代として区分できる。しかし、一世の減少と世代交代によってコミュニティ全体において韓国語が使用される場面はそれほど多くない。韓国語から日本語への言語交替がほぼ完成期に導入しているともいえる。
本発表は、生野区周辺での言語交替の過程に見られる様々な現象を言語接触の観点から記述したものである。まず、一世が使用する日本語の特徴について、その音声的特徴を、生野周辺に居住する一世と他地域に居住する一世のデータを比較することによって生野周辺の一世の社会的背景を浮き彫りにした。次に、一世の言語運用の特徴である日韓両言語の混用現象をその機能と構造的特徴について述べた。二言語併用話者である一世の使用する言語コードを日本語コードと韓国語コード、混用コードにわけ、それぞれが異なる領域で使用されることを指摘した。また、その構造的特徴として、文構造における両言語のframeとcontentの内容について具体例を示した。特に、日本語の補助動詞「-suru」と韓国語の補助動詞「-hada」を基盤に派生した一世独自の混用複合動詞についてその形態的特徴と混用の要因について考察した。最後に日本語が母語である二世以降の世代に実施したアンケート調査の結果に現れた一世言語の残存について触れた。
多くの在日コリアン家庭では日本の食文化としては一般的ではない「お汁にご飯を入れて食べる」習慣があるのだが、この行為を表す言語形式として「chomang-suru」,「mara-suru」,「mora-suru」,「maze-suru」など、二世以降の世代の母語である日本語では存在しない語形を使用していることが発見できた。これらの語形は一世の母方言である済州島方言(chomang-suru、mora-suru)、全羅道方言(mora-suru)、慶尚道方言(mara-suru)に影響されたと見られるもので、二世以降の世代の言語行動における一世の言語の残存状況がはっきりと現れたものである。また、在日コリアンコミュニティの内部ではすでに言語交替は進んでいるが、各家庭において食習慣としての文化的要素はかなり保持されていることが明らかになった。これらの発見できた一世言語の残存語形については、自文化を保持しながら他文化を受容する在日コリアンの生活模様が言語に現れたものであると判断できる。

(国立民族学博物館・外来研究員)


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〔西日本地域研究会報告要旨〕

第48回 2002年2月9日(土) 15:00~18:00 OICセンター 会議室

朝鮮戦争以後の南北関係の変化
金 銀 英

 

朝鮮半島問題(統一問題)の進展は、1950年に勃発した朝鮮戦争以降、1972年の「7・4南北共同声明」発表、「基本合意書」締結や2000年の「南北首脳会談」のような一連の関係改善に向けての韓国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の当事者による努力があったので実現できた。これによって、従来の対立一色の構図から、対話という変化の兆しが芽生えてきた。したがって、対話と対立という構図が共存するようになった。

 さらに、1980年代に冷戦体制と東欧の社会主義圏が崩壊した影響を受けて、朝鮮半島で対立より一気に対話ムードが強まった。それで2000年、「南北首脳会談」が実現し、対立という構図を残しながらも、圧倒的に対話という雰囲気へ転換するようになった。この動きがあって、北朝鮮の統一方案も、従来の「南朝鮮(韓国)革命論」で一貫した政策から、北朝鮮の「連邦制」と韓国の「連合制」に共通点があることを認めるに至った。よって、南北間においては実現可能な統一方案を議論する土俵ができた。

 ところが、このような北朝鮮の変化の裏側には、経済的な理由があった。すなわち、「7・4南北共同声明」は借款の狙い、「基本合意書」の締結には東欧社会主義圏の崩壊による貿易不振の克服、そして「南北首脳会談」の受け入れも破綻寸前の北朝鮮経済を建て直すためであった。

 一方、韓国にとっての南北関係の改善も、北朝鮮のような範疇を越えてはいない。すなわち、歴代の政権が失った国民の支持を取り戻すための手段として持ち出したのだ。例えば、「7・4南北共同声明」発表は、朴正煕政権の安定を図る手段であったし,「基本合意書」締結も北朝鮮より発展した経済力でもって政権を宣伝する狙いがあった。なお「南北首脳会談」も経済構造調整の成果が上がらなくなり、その切り札として北朝鮮との関係改善に力を入れて国民の支持を得ようとした。

 以上、朝鮮半島問題は、南北相互が民族の繁栄と発展よりそれぞれ政権維持のために利用してきたのである。韓国では、民主化が進み、国民の意識も向上しており、このような政権維持次元の南北間の和解・協力に対しては批判的な世論が沸き起こっている。しかしいま、南北間においては対立ではなく、対話という追い風が吹いている。この中で朝鮮半島問題は「真の平和統一」という民族の念願に沿う形の舵取りが求められる。この「真の平和統一」の方法論を探り出すのが、今後の課題と言えよう。

 

第49回 2002年3月30日(土) 16:00~18:00 OICセンター 会議室

中国と日本・韓国との経済的関係について
──環渤海湾地域経済発展の国際化と北東アジア経済提携──
李 剛 


一般的には広い意味での北東アジアの経済提携は、中国の東北地域と環渤海湾地域、朝鮮半島、日本(主に四国、九州地域)、ロシアの極東地域、モンゴルが含まれる。これらの国・地域の経済発展現状により、概ね日本、韓国、中国、北朝鮮という4つの経済的ギャップを持つ地域に分けられる。
1980年代以来、日本、韓国など経済先進、中進国では相次いで産業構造の調整が行われ、資本集約型、技術集約型産業を重点に発展し、労働集約型産業を、労働力と資源コストの低い発展途上国へ移転しつつあった。このような国際間産業移転の新しいトレンドは環渤海湾地域の産業の新しい枠組みづくりと経済力向上の加速に新しい機会を与えたと言える。
環渤海湾地域は外向型発展戦略において動態比較利益を獲得するために、生産要素規模と構造変化を引き起こし、有力な施策を立て、静態比較利益から動態比較利益への転換プロセスを速めなければならない。そういう訳で、下記の対策が考えられる。
1.経済効益の向上と資本蓄積の増加に取り組むこと。
2.重点的に外国資本の導入に取り組むこと。
3.積極的に先進諸国の優れた技術と管理経験を導入すること。
4.絶えずに人的な技術と知識素質を向上させること。
1980年代以降、日本は米国の貿易保護主義及び円高の圧力によって、経済構造が外需主導型から内需主導型へ転換し、「脱米入亜」の戦略に基づき、周辺諸国とくに中国環渤海湾地域との連携を強めるようになった。韓国は米国、日本への輸出集中の不利な状況を変えるため、市場の多極化戦略を採り、中国、ロシアとの国交樹立が相次いだ「北方政策」を積極的に続けると共に、2000年までの10年以内に320億米ドルをかけた126のプロジェクト及び「西海岸開発計画」が立案された。
この地域内においては、主に中国・日本・韓国3ヵ国の経済、貿易の連携は迅速な発展が遂げられた。1990年代中期まで中国に対する外国からの投資状況は表1に示されている通りである。
ここから見れば、日本・韓国・米国・英国・ドイツという5つの国は中国における投資の4分の3が環渤海湾・華東・華南3大経済圏に集中する。そのなか、日本と韓国企業は環渤海湾経済圏での投資が一番多く、特に韓国企業の3分の2以上がこの地域に集中して、その他の国を大きく上回り、地理的に近い山東省と遼寧省での投資が中国全国での投資の25%と20%であり、環渤海湾経済圏の中で37%と29%を占めているので、韓国と環渤海湾経済圏との連携が非常に重要なのである。
環渤海湾地域は新しいユーラシアランドブリッジの東端にある起点でもある。環渤海湾地域の西部に向けた開放には6つの起点と10本のルートのユーラシアランドブリッジが利用できる。そのなか、中国にある4つの起点の中の3つ、7本のルートが環渤海湾地域にある。7本のルートのほとんどが天津港を起点とし、その中の4本が10本の中で最短距離である。この新しき「シルクロード」はマラッカ海峡の海上運輸ルートより時間的に70~80%短縮でき、運送費用においても20~30%節約できると推定される。また、天津港の通過貨物能力が強く、コンテナー取扱量は10本ルートの起点の中で最も大きく、既に国際貨物中継点の条件が整っている。
新しいユーラシアランドブリッジはアジア、ヨーロッパという2つの大陸にまたがり、東には太平洋へ、西には大西洋に繋がる最短の交流要路である。日本、韓国の港から西ヨーロッパにあるオランダのロッテルダム港に行くならば、古い方より平均1200キロメートル短縮できる。また、スエズ運河の海上ルートより約8000キロメートル短縮でき、1ヵ月間ぐらい運送期間が短くなり、運送費用も約5分の1か4分の1ダウンできると推算される。
環渤海湾経済圏は、東・西部両方開放と沿海港を牽引役として、ユーラシアランドブリッジを主軸線にし、北東アジア多国間と多極的な産業構造の転換と結びついて、地域内高次元と低次元産業間、競争的産業間と開発的産業間などパターンの分業関係を新たに組み合わせるべきである。資源と労働力及び物質が東部から海上へ、資金と技術及び市場が西部への進出という優位補完の中において、全方位、多次元、段階的に開放型基地式の発展戦略を実現すべきである。
なお、中国、日本、韓国3ヵ国とアセアン諸国の経済連携によった「自由貿易圏」及び北東アジア自由経済多角貿易圏(North-east^Asian^Free^Economic^Multilateral^Trade^Area)の構想及び実現に向けた戦略政策は射程内における環渤海湾経済圏にとっては、地域内の協調的な発展を加速するとともに、世界市場経済の法則及び中国政府の経済政策のマクロコントロールに基づき、絶えず産業構造調整と経済成長方式の転換に努め、21世紀に向けて、北東アジア及び世界経済の発展に寄与できるような中国地域経済新時代の第3成長極に相応しい主役づくりを目指す逃せない絶好の機会でもある。

備考:この資料は2002年3月30日午後に開催された【国際高麗学会日本支部第49回西日本地域研究会】における研究報告より要約されたものである。(大阪商業大学大学院)


表1 中国3大経済圏における日本企業・韓国企業・他の国の投資企業分布状況(%と企業数)@


環渤海湾経済圏 華東経済圏 華南経済圏 その他の地域 上位2位の省・市
日本企業 40.1% 33.1% 9.6% 17.1% 上海 901:江蘇 609
韓国企業 66.5% 6.7% 2.8% 24.0% 山東 513:遼寧 409
米国企業 38.5% 31.0% 11.0% 19.5% 上海1083:江蘇1131
英国企業 32.6% 29.6% 20.2% 15.9% 上海 67:江蘇 43
ドイツ企業 39.0% 29.6% 8.0% 23.4% 江蘇 72:山東 67

(出所) 王志楽編『韓国企業在中国的投資』(中国経済出版社、1996年)pp88~91;
王志楽編『日本企業在中国的投資』(中国経済出版社、1997年)pp12~13;
財団法人日中経済協会合作合弁相談所編『1999/2000 中国投資ハンドブック─戦略と実務』(1999年)より作成


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〔第19回東日本人文社会科学研究会〕


2002年6月30日(日)16:00~18:00 大阪経済法科大学 東京セミナーハウス会議室

報告者 金哲央(大阪経済法科大学客員教授)
テーマ 「崔漢綺(1803-1877)が見た西洋医書」―HOBSON(合信)の医書と崔漢綺の『身機践験』―

報告者 新田 牧雄(蕨戸田市医師会看護専門学校)
テーマ 「日本の高等学校での朝鮮史を通じた世界史教育方法」


報告者 金秀大(朝鮮大学校)
テーマ 「2000年前後の時期におけるDPRKの経済動態について」

報告者 韓桂玉(大阪経済法科大学客員教授)
テーマ 「靖国アジア裁判」についての考察

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済州島四・三事件54周年記念講演会


2002年3月10日(日) 15:00~18:00 OICセンター 会議室

「四・三事件における史実と創作──中村福治著『金石範と「火山島」』をめぐって」
丁 海 亀 


Ⅰ.報告の課題
中村福治著『金石範と「火山島」』の特徴:『火山島』の政治社会的観点からの総合的分析
課題の限定:中村福治氏の社会科学的批評の適切さの吟味

Ⅱ.報告の視角:“構造”と“行為”
四・三当時の現実のどこまでが“構造的状況”の問題であり結果であるのか、どこまでが“主体行為”のそれなのか
構造の流れに乗った親日派・反共主義者・北朝鮮の共産主義者
構造に抵抗した南の中間派、良民、南労党
悲劇の原因:構造にあるのか、行為自体にあるのか

Ⅳ.第四章 「『火山島』と四・三事件:歴史的事実と四・三事件」をめぐって
中村からみた金石範の歴史認識
・信託統治をめぐる軋轢が分断への転換点
・米軍政の黙認のもとで進められた左右合作運動はロマンであった
・南北連席会議は南労党が主導し準備したものであった
・分断の責任は主として米国とこれに追随した右翼保守勢力にある
これに対する中村の批判
・米国と右翼勢力が当初から分断を指向したと単純に言い切れない
・左右合作運動の現実的可能性
・南北労働党の葛藤:南労党の関心は単独選挙粉砕、北労党が南北協商主導
・南朝鮮の単独政権樹立と北朝鮮のそれは表裏一体(責任論)
南北分断の本格化:構造的レベルでは米国の対韓政策の基調が変化した1948年初め
現実的レベルでは第二次米ソ共委が決裂した1948年半ば
分断責任論:一次的にはやはり米国と保守勢力:二次的にはソ連・北朝鮮
南北労働党の関係:権力をめぐって競合関係
「火山島」における親日派の位置づけ:不成功(中村の評価)
親日派問題と左右対立の区別と連関
親日派問題と四・三事件、時期的には同じだが直接関連していない

Ⅲ.第三章「『火山島』を通じて見る韓国現代史」をめぐって
中村からみた金石範の四・三認識
・帝国主義の分断政策に対する民族解放闘争
・南労党の極左冒険主義
四・三の性格:陸地の反共主義的弾圧に対する地域的抵抗:全国的分断阻止闘争の一環
両者の認識のギャップをどう埋めるか?

(韓国・聖公会大学社会学科教授)


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編 集 後 記


去る7月、史上初の世界コリア学大会が韓国で開催され、画期的な成果をあげることができました。
この期間中に開かれた国際高麗学会総会では、宋南先大阪経済法科大学教授が新会長に選出されたほか、ヨーロッパ支部の結成も決定されました。
今夏はまた、朝鮮半島を巡り、サッカー・ワールドカップ日韓共催、北朝鮮における経済改革、小泉首相の訪朝と日朝平壌宣言など歴史的な出来事が相次ぎました。
日朝国交正常化の前途は、拉致事件問題との関連で予断を許しませんが、この歴史的転換期に国際高麗学会が何をなすべきか、従来以上に真剣に考えていきたいものです。 (K)