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국제고려학회 일본지부 소개

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日本支部通信

第10号 (1998.12)

特 集

 国際高麗学会日本支部 第3回学術大会

日時 1998年11月15日(日)午前9時30分~午後5時
場所 大阪商業大学(4号館)

 

シンポジウム「南北朝鮮の新体制と経済政策」

第1報告:北朝鮮──小牧 輝夫(アジア経済研究所)
コメンテータ 姜 日 天(朝鮮大学校)
第2報告:韓 国──高 龍 秀(甲南大学校)
コメンテータ 金 俊 行(大阪経済法科大学)
第3報告:南北経済交流──坂田 幹男(福井県立大学)
コメンテータ 朴 一(大阪市立大学)
司 会: 金 元 重(法政大学)

金正日体制と経済政策
小牧 輝夫

 

 朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)では、国家主席のポストを廃止した新たな政治制度のもとで、金正日労働党総書記が共和国国防委員会委員長に再選され、金正日体制が一段と整備された。金正日体制は、基本的には金日成主席の死去直後から始動しているが、1997年10月に金正日氏が国家活動も指導する権限をもつ党総書記に就任したことで正式に発足し、今年9月の最高人民会議での憲法修正により事実上「国家の最高ポスト」となった国防委員長に同氏が再就任したことで、党指導部の人事を除き体制固めがほぼ完了した。金正日体制は、金正日氏に権力が集中する軍事重視の非常統治体制といえよう。
そうしたなかで、第3次7ヵ年計画(1987-93)の挫折にみられるようにすでに金日成時代から悪化していた北朝鮮経済は、金正日時代に入って食糧危機を中心にいっそう困難が深まり、現在もなお回復の兆候が見えない。食糧事情は、1980年代半ばから徐々に困難が増していたが、ソ連崩壊で深刻化し、95年の大洪水で一挙に危機として顕在化した。食糧危機の原因は、農業政策の誤り、ソ連崩壊による小麦や石油の輸入断絶、農業投入財と外貨の不足、自然災害、農民の生産意欲低下など複合的かつ構造的なものである。設備の老朽化や政策的な問題などのため80年代から不振が顕在化していた工業部門でも、ソ連崩壊で大きな打撃を受けた。市場を喪失し、エネルギーと外貨の不足、さらには食糧不足も加わって工場の稼働率が急低下し、工業生産は大きく縮小した。経済は90年代以降、基本的にマイナス成長を余儀なくされている。
こうした経済状況に対して、金正日体制のもとでの経済政策は、基本的には社会主義経済体制を堅持し、金日成主席の「遺訓」の実現を図るというものである。1994年から3年間設定された緩衝期は、事実上現在も継続されている。しかし、緩衝期の経済政策として打ち出された「農業第一主義、軽工業第一主義、貿易第一主義」という「革命的経済戦略」は97年まで継続されたが、98年になってこの「経済戦略」は棚上げされ、農業以外では、電力、石炭、金属、輸送など基幹産業の優先発展を強調する93年以前の政策が復活し、「貿易」は重点対象から除外された。この間、金日成主席の指示によって設置された羅津・先鋒(自由)経済貿易地帯の建設は継続され、地帯内では市場経済の実験ともいえるいくつかの経済活性化措置がとられたが、諸般の制約から所期の経済効果を挙げるまでには至っていない。困難な経済事情が継続するため、新長期計画の樹立が遅れている。
金正日氏はこれまで、市場経済化が体制転換につながる危険性を指摘し、資本主義的要素の流入に警戒するよう国民に求めてきた。そうした公式論、原則論の一方で、現実の深刻な食糧不足や外貨不足に対処するため、対症療法的に限定的な形で開放的、改革的な措置もとってきた。さらに、修正憲法では従来からのものも含め、社会主義の枠内での開放的・改革的措置を追認する条項・文言が挿入された。例えば、(1)独立採算制の実施、および原価、価格、収益性などの経済的テコの利用、(2)対外貿易は国家以外に社会共同団体も行えること、(3)「特殊経済地帯」での企業活動の奨励などである。しかし、今年9月17日に発表された『労働新聞』、『勤労者』の共同論説は、自立的民族経済路線を改めて強調し、外資に依存することの危険性を指摘するとともに「開放」、「改革」を厳しく拒否して、体制の基本的な経済政策に変化がないことを再確認した。
金正日体制の経済政策の展望は難しい。金正日体制は、中央統制的な社会主義経済体制を堅持し、市場経済化の世界的な潮流を拒否しており、またその軍事優先の姿勢から見て、経済回復を最優先する柔軟な経済政策に基調を転換する可能性は当分なさそうである。こうした硬直的な姿勢が経済危機を深化させ、体制との葛藤を警戒して開放、改革に踏み切れないまま、結局は体制の不安定化をもたらすとの見通しも一定の説得力を持つ。しかし、金正日体制としても、座して死を待つことはしないであろう。体制の生き残りをかけたあらゆる外交的・軍事的対応以外にも、とりうる余地はなお残されている。自立的民族経済論の原則的立場の強調だけでは、現実の経済困難を大きく改善することはできないとなれば、やはり対症療法的な開放的、改革的な措置に頼らざるを得ないであろう。かくして引き締めと緩和を繰り返しつつ、次第に矛盾が拡大することも予想される。そうした試行錯誤のなかで、国際社会の対応によっては、体制指導部の主観的な意図を越えて状況が進展する可能性も否定できない。

(アジア経済研究所)

 


IMF体制と金大中政権の経済政策
高 龍 秀 

 

1.IMFは、融資条件としてどのような経済構造改革を求めているか?
1997年12月5日のIMFのコンディショナリティ
*通貨引き締め:金利上昇、緊縮財政、資本市場・貿易の自由化、敵対的M&A許容。
「通貨危機はこれまでのいかなる通商交渉により効果的に市場を開放している」

(1)企業支配構造・経営構造改善:外部監査、連結財務諸表公開・透明性改善、負債比率引き下げ。相互債務保証制度の変更。
(2)金融部門構造調整:金融市場の開放化、BIS基準の厳格順守、透明性。監督権限の強化。経営悪化金融機関の整理。
(3)労働市場柔軟化:労働力再配置を容易に。雇用保険制度の充実。
=政府介入の極めて少ない米国型の市場経済モデルへの劇的な移行を求めている。

2.金大中政権の経済政策
(1)財閥の構造改革
◎経営責任制:総帥が主力企業の会長に。秘書室の廃止。
◎銀行を通じた財務構造改善。
98年2月、主取引銀行が大企業と財務構造改善協約を締結するよう求める。
4月、経済対策調整会議、債権銀行に「不実企業判定委員会」構成方針発表。
6月3日、大統領は5大財閥系列社を含めた補完を指示。
6月18日、金監委、銀行の不実企業選定に基づき、退出企業55社発表。
6~7月:企業改善作業(ワークアウト)推進。
8月7日、金融監督委は、5大系列主債権銀行が9月末までに該当系列企業の財務構造改善計画を修正し提出するよう要求した。12月15日までに構造調整法案を最終確定。
9月3日、全経連は、7業種の財閥再編案を発表。5大財閥系列を中心に17社。● 半導体:現代電子産業・LG半導体の合弁。● 石油化学:現代石油化学・三星総合科学統合

(2)金融機関の構造改革
*官治金融:政府・政治家が銀行人事や融資先などにまで関与する。日本以上の護送船団。競争なき金融業界+経営モラルの低下。低い収益性。
◎綜合金融会社(マーチャント・バンク)
全体29社の内、金融系が多い先発6社以外は、投資金融会社からの昇格が多い。
投資金融会社は政府が闇金融市場の資金を吸収するため許可した制度で古い体質を残す。無担保が大半で、数週間から数カ月という短期で融資。(財閥は綜合金融会社から借りつなぎ設備投資)そのため、企業破綻が相次ぐと、一気に資金回収に走る。起亜事態後に社債市場は完全に麻痺。
98年5月14日:金大中大統領は不良債権が120兆で半分は回収できないだろうと発言。
*97.12.24=IMF、銀行正常化方案推進基本日程を提示。
98.2.26=銀行監督院、BIS8%基準未達成の12銀行に経営改善命令。
4.30=BIS基準未達成の12銀行が、経営正常化計画書提出。
6.29=整理銀行5行を発表。
7.31=商業銀行と韓一銀行の合併が発表される。
8.29=ハナ銀行とポラム銀行の合弁が妥結。
9月末=銀行構造調整第1次締めくくり。

(3)労働市場の柔軟化、整理解雇制の導入
◎IMF・国際資本の要求と、国内雇用対策のディレンマ。
◎8月の現代グループ争議への政府・国民会議の介入。
労使政委員会の位相:労働者団体の要求を政策に反映する韓国型社会コーポラティズムへ? 民主労組内部での意見の相違。

(4)金大中政権のD・Jnomics『国民とともに明日を開く』
「国民の政府」「民主主義と市場経済の並行発展」「第2の建国運動」
政府、金融、企業、労働市場を全面的に改革。「政府主導・官治経済からの脱皮」
◎財閥など既得圏勢力の抵抗が強い中、強いリーダーシップ・政府主導で制度改革を実行。改革の進展の後、政府主導性を脱皮し、経済主体の自立的改革・成長が可能かがカギ。
◎「労働市場の柔軟性・流動性を高めるべき」新労使文化の創造。労使政委で労使葛藤を予防。失業対策としての社会セイフティネットが必要。
政府の役割は「市場秩序造成者と公正な審判者」に限定。モデルはドイツの「秩序自由主義(Ordo-Liberalism)」ナチズムでの政府の過度の介入への反省。⇒韓国の歴代政権の政府の介入政策を脱却し、個別的資源配分と関連した政府の介入に反対。
「市場秩序が壊れるときには政府は登場する、介入でなく市場秩序の形成を促進するもの」

(甲南大学)

 

 

朝鮮半島における南北経済交流の動向について
坂田 幹男

 

はじめに

Ⅰ 南北経済交流の概要
1.「7・7宣言」以前
キッシンジャー大統領補佐官訪中(71年7月)の衝撃
2.「7・7宣言」以後
「北方政策」の具体化と「政経不分離」下での南北経済交流
北朝鮮における経済危機の進行と限定的対外開放の模索
南北経済交流における4度の危機
金大中新政権の「政経分離」と南北経済交流活性化措置

Ⅱ 南北経済交流の現状
1.南北貿易の現状
北朝鮮の貿易総額に占める南北交易の割合(96年:11.8%、97年12.3%)
北朝鮮の輸出面での依存度の大きさ(96年:25%、97年18.8%)
97年の北朝鮮の貿易増加と98年の減少
2.委託加工取引の開始(91年12月:コーロン商事)
委託加工取引の現状
交易総額に占める委託加工取引の割合(96年:29.5%、97年:25.6%)
搬入総額に占める委託加工取引の割合(96年:19.9%、97年:22.2%)
連携交易方式の増大
委託加工取引上の問題(価格競争力、生産現場での技術指導が困難)
3.直接投資の現状
92年1月金宇中会長訪朝──96年8月合弁工場稼働
94年11月直接投資容認
南北協力事業者
南北協力事業
投資規模上限規制の撤廃(98年4月30日)
4.最近の特徴
北朝鮮での遊休設備利用
大手企業との同伴投資
協同組合方式による直接投資

Ⅲ 南北経済交流の課題と展望
1.制度面での課題
法的・制度的基盤の確立:対外決済制度、貿易仲介制度、
2.経済面での課題
投資保証協定、定期航路、陸路輸送、
3.今後の展望
北朝鮮の対外開放政策の行方
韓国の金融・経済危機の行方

(福井県立大学)

 

 

シンポジウムのまとめ
金 元 重

 

 今回のシンポジウムのテーマは、今春の韓国における金大中政府の出帆、9月の北朝鮮における最高人民会議において確認された金正日体制(最高ポストとしての国防委員長に再就任)という南北朝鮮で成立した新体制の意義と性格をどう捉え、それぞれの新体制が抱える課題をとくに経済政策の面から考えてみようという趣旨で設定された。とりわけ経済政策に重点を置いたのは、韓国では昨年11月に発生した通貨・金融危機とその後のIMF管理体制下において、経済停滞と大量失業問題に苦しみながら経済再生をめざす努力が続けられており、一方北朝鮮では食糧危機が打開できないまま経済再建を目指す模索が続いている現状の理解と将来展望に焦点をしぼろうと考えたからである。
シンポジウムは以下の3つの報告とそれぞれに対するコメントを中心に進められた。
第1報告「北朝鮮──金正日体制と経済政策」小牧輝夫氏(アジア経済研究所)は、金正日体制は実質的には1997年10月の党総書記就任から始まっていたが、今回の国防委員長再就任によって新しい政治体制として発足したと見ることができるとしたうえで、金正日体制の性格は、金正日氏に権力が集中する軍事重視の非常統治体制といえると規定した。またその経済政策の基本は社会主義経済体制の堅持に置かれており、いわゆる市場経済化に対してはその危険性を指摘して警戒する一方、食糧難や外貨不足問題に対処するために対症療法的に限定的な開放・改革措置をとってきたことにも注目すべきであると指摘された。そして経済困難が続くなかでは原則論的な対応に限界がある以上、今後もこうした対症療法的な対応に当面頼らざるを得ないであろうが、その揺れを繰り返す過程のなかで矛盾が増大する可能性もあり、新体制下の経済政策の展望は今のところ困難であるとされた。
小牧報告に対するコメントで姜日天氏(朝鮮大学校)は、金正日体制を非常統治体制と性格規定することは、それがいわゆる危機管理体制という意味であれば不適当であり、権力集中、軍重視という点も一般的に理解するのではなく、革命武力の首位としての金正日、革命政権における軍重視の合法則性という北朝鮮内部での主張を理解する必要があるのではないか。新体制は非常=危機管理体制というよりも北朝鮮の国家建設の歴史的経験の中で作り上げられてきた完成した統治スタイルという性格をもつといえる、と指摘された。またフロアからは軍事集中について、北朝鮮における軍は抗日パルチザン時代からの伝統で自活的存在であるばかりでなく、経済建設にも積極参加してきたのであり、軍重視が経済建設や民生と必ずしも対立するものではないのではないか、という見解も表明された。
第2報告「IMF体制と金大中政権の経済政策」高龍秀氏(甲南大学)は、韓国に対するIMFの融資条件としての構造改革プログラムが、従来に比べ金融・企業・労働市場の「改革」に踏み込んだ内容である点を指摘し、それを受けて金大中政権の経済政策が、財閥改革・金融改革・労働市場の柔軟化=整理解雇制の導入をどのように進めているかを具体的に説明された。高氏は最後に、金大中大統領の経済哲学(DJnomics)のもつ可能性(社会的市場経済・政府の市場秩序形成の役割)と限界性(過剰介入排除を政府主導で介入的に推進する矛盾)を指摘した。高報告に対するコメントで金俊行氏(大阪経済法科大学)は、今回の通貨・金融危機のもつ意味を韓国の開発独裁体制崩壊後の歴史過程における「否定の否定」という文脈で捉えることを提起し、80年代の民主化運動・冷戦終焉・経済成長によって開発独裁は否定されたが、その延長上で韓国経済自身の主体的な構造改革努力がないままグローバリズムへのめり込んだこと(クローニー資本主義を清算せずOECD加入、金融自由化措置)が、第1の否定を他律的に否定する第2の否定(韓国経済=東アジア型発展の破綻)──アングロサクソン型資本主義への強制的移行圧力──として現れたとみることができるとした。またフロアからは高報告が金大中の経済哲学のもつ社会的市場経済の傾向について評価したことと関連して、最近のヨーロッパにおける社民的潮流の復活をみるとき、アジアの経済危機克服の方向としてもっと大胆に社民的方向を目指すべきではないか、という見解が表明された。
第3報告「朝鮮半島における南北経済交流の動向について」坂田幹男氏(福井県立大学)は、まず1970年代からの南北経済交流の歴史的流れを進展と危機の節目ごとに整理された。そして今日の南北経済交流の現状を、交易、委託加工、直接投資の形態別に分析し、最近の特徴として北朝鮮での遊休施設の利用や、韓国側の大企業・中小企業の同伴投資の増大、中小企業協同組合方式による直接投資などを紹介した。さらに韓国側の交流主体である南北協力事業者やその協力事業がどのようなプロセスで認可されるのかが説明された。また課題と展望としては、交流拡大と実績向上のためにはバーター方式に代わる対外決済制度の整備や投資保証協定締結、さらに陸路輸送の実現が重要であること、最近の観光事業交流など交流の拡大が着実にすすんでいるが、南北の政治的緊張で交流が中断してきたこれまでの経緯からして楽観ばかりはできない点が指摘された。
坂田報告に対するコメントで朴一氏(大阪市立大学)は、斬新な報告であると評価しながらも南北経済交流、北朝鮮の開放政策を分析する場合に韓国側資料に依拠し過ぎると、北朝鮮内部での開放志向のさまざまな動きを見逃す恐れがあり、研究方法を来たの基本資料に依拠したものに深める必要性があると指摘した。(この点について朴氏は小牧氏にも同様の苦言を呈したが、小牧氏は自身の北朝鮮経済分析は、資料の制約があるなかでも北の資料を最大限に渉猟し分析して行っているものだと反論された)。フロアからは在日同胞の北朝鮮直接投資については採算性が芳しくないと聞いているが、韓国企業の直接投資は採算面ではどうなのか、という質問があり、これに対し坂田氏は、韓国企業の場合も採算性よりは象徴性や将来保険の面を重視しているようだと回答された。
シンポジウムを振り返ってみると、報告者の充実した報告内容と時宜に適った最近の関心事をテーマとしたことがあいまって、フロアを含めた参加者による熱心な討論が行われたと思う。 

(法政大学)


【人文社会科学分野 自由論題報告要旨】


大日本帝国植民地主義の系譜
──神功皇后、桃太郎、西郷隆盛の征韓論──
北島 平一郎 


日本が朝鮮を合併したのは1910年8月28日であった。韓国民の悲涙天をおおい、高官の自裁するもの踵を接した、とある。水ももらさぬ武力合併であった。そのよってきたる所以は、明治の征韓論であった。西郷隆盛の首唱するところである。しかしこれは論というようなものではない。朝廷の参議であった武断派の西郷が未だ鎖国中であった朝鮮へおもむいて事を起こし、戦争を仕掛けようというそれだけのものであった。しかし重大であった。西郷は人も知る事件屋で幕末、益満休之介、相良総三等を使い江戸で毎夜商家を襲い、切りとり強盗を働かせて幕府を挑発し、遂に戊辰戦争を引き起こした男であった。
西郷はこれを朝鮮に応用しようというのであった。日本人は、こういったファッショを愛し、西郷は、「日本国憲法」下の日本でいまだに尊敬すべき英雄第1号である。
しかしこの征韓論の根は深い。その嚆矢は神功皇后の三韓征伐論である。これは4、5世紀の新羅、高句麗、百済、倭の朝鮮半島における逐鹿戦を土台に作り上げられた物語である。その実際面の史実の一つは、400年、百済を従へ、新羅に圧迫を加えた倭を高句麗の好太王が南下して打破り、任那、加羅まで進撃したというそれである(広開土王碑文)。
これを日本人は当時から神話をもととし、神功皇后なる人物が逆に三韓を攻撃打破って彼らを服属させ、毎年の貢を約させ、提供された80艘の舟に金銀財宝を山と積んで凱旋したという話にしてしまったのである。これは帝国主義、ナショナリズム、植民地主義の日本的渇仰をいやすまことに希有な特異な話であったが、日本国人心に投じ以来時所を越えて語り継がれた。今日神功皇后を祭神とする神社は2万5千社をかぞえ、人々の崇敬心はあつい。日本国民の心根にねざした宗教は神道であり、その祭主は神代以来天皇であって政教一致は世界的に特異厳然たるものがある(ローマ法王とキングの分離)。
昭和天皇は人間宣言をしたけれど、八百万神を祈る日本人の心に神勅をもととした祭主天皇への渇仰は消えるべくもない。
この神功皇后物語を平易なお伽噺として一般化したのが桃太郎の鬼ヶ島征伐である。これは室町期から行われた。こうして日本人の帝国主義、ナショナリズム、植民地主義は決して消え去るべきものではない。それは、時処相ととのい、心技相うちかえば、いつにても風の如くに再生再来すること一片の疑をさしはさむ余地はない。
(大阪経済法科大学)

大日本帝国植民地主義の系譜 資料

1.神功皇后
気長足姫尊(日本書記)、息長帯比売命(古事記)、オキナガタラシヒメノミコト
七支刀(268A,D,?)=石上神宮(明治6年発見)=百済より。
神功皇后紀を120年繰り下げればその実在年代が得られる。
卑弥呼と神功皇后=同一人か否か、天之日矛=皇后の母の先祖。
池田宏説=到底史上の事実とは考えられぬ。後人の添加。
津田左右吉=仲哀天皇以前の歴史は不明。親征は絶えてなかった。
仲哀天皇ツクシ来、応神天皇伝説=非。
百済記、百済新撰、百済本記、三国史記50巻。
百済近肖古王、新羅奈勿王、広開土王。

2.桃太郎
温羅(うら)退治=吉備津彦命(吉備津神社)
鬼城山=朝鮮式の古代山城の跡、百済からの亡命者。
雉と鷹、鯉と鶏(鯉喰神社)、解慕瀬(かいぼそう)と河伯。
高句麗の建国神話、鬼の城(総社市)天智天皇の本土防衛(663A,D)
高松市熊野権現=桃太郎神社、鬼無町。
犬山市=桃太郎神社=桃山=大神実命(おおかむず、桃の精霊)

3.西郷隆盛の征韓論
アメリカ独立革命1776、フランス革命1789、ボルシェビイキ革命1917、幕末の世情混乱。ええぢゃないかの打ちこわし、江戸から中国、四国まで、幕府の半知借上げ。
夜盗、切とり強盗、西郷の御用盗、薩摩郷党団、西郷吉之助、益満休之助、弓田正平、伊牟田尚平、小島四郎(相良総三)
非人支配弾左ヱ門、非人頭車善七=辻斬り、強盗、放火(イ)幕府派(ロ)幕府警察派=新徴組、新整組、別手組(ハ)奸商、貿易商、和官、天障院、幕府の放出=籾102、950俵、75、354両、一人600文、夫婦一人500文、(慶応2年)
米=1両で1斗5升文久以来7倍の高騰、野州、甲州、相州挙兵、江戸攪乱隊、薩邸焼討ち、慶応3、12、25
明治6年8月(1873)、西郷派遺決定、同年10月西郷辞職。


フィリピンにおける韓国進出企業に関する一考察
──96社に対する聞き取り調査に基づいて──
久津美 香奈子

 

 東南アジアの中でもフィリピンは、1970年代までアジアで最も成長の期待される国のひとつに数えられていた。しかし、政情不安により、1980年代初頭以降、ASEAN諸国でも例外といわれるほど経済が低迷した。ところが、1992年のフィデル・V・ラモス大統領の就任を機に、2000年までにNIES入りを果たすべく「フィリピン2000年計画」が打ち出され、フィリピン経済は大きく躍動し始めた。特に、外貨規制緩和などの自由化政策の進展や電力供給の改善により工業生産が拡大し、外国企業が顕著に増え始めたのであった。
1992年から1995年までの、フィリピンへの海外直接投資をみると、1位と2位は日本とアメリカといった先進工業国から、3位、4位、6位はNIES諸国である。
このうち、1995年をみると、韓国資本の対フィリピン投資金額は、約1億5500万ドルを記録し、その98.6%が輸出加工区に集中している。同区域内への投資総額としては、日本、アメリカに続いて韓国が3番目の規模となっている。
本報告では、経済開発の力点を工業化に置き、2000年までにNIES入りを目指すフィリピンへ、韓国の企業がいかなる形態で進出しているのかに関する考察としたい。
調査対象とした企業は、フィリピンにおける主要企業の目安とされる年間売上額上位7000社(1995年)に入った韓国企業83社と、財閥系資本の商社、銀行、保険会社、海運会社13社の合計96社に対して行ったヒアリング調査とアンケート調査をもとにしたものである。これは、1996年11月から1997年4月にかけて、社長や工場長に直接会い、調査をした結果に基づいている。

(大阪外国語大学大学院)

李退溪・李栗谷における理気論と社会過程把握
辺 英 浩 


Ⅰ 初めに 朝鮮朱子学研究における哲学論と社会過程把握との総体的研究の必要性
Ⅱ 中国における主理主義と主気主義
〈朱子による主理主義の成立〉⇒中国は宋代に朱子(1130~1201年)に代表される主理主義=全体主義が成立
〈朱子の生産過程把握〉
〈理気論〉
朱子理気論において、気は万物の形を賦与する原因となり、万物の形態の差別を生じさせる特殊的・個別的範疇、他方理は万物に内在して性を決定する原因、万物の性を同一にする気よりも根源的な普遍的・全体的範疇である。朱子において理の気に対する根源性、理の超越的実体性は決定的鮮明さをもって現れている。だが、形式論理として見た場合、理は内在性と超越性、原理性と実体性の矛盾を孕んでいる。朱子をしてこの形式論理的矛盾を承知の上で、理を超越的、実体的なものとさせたものは何か?  ①仏教批判②対外問題。朱子学における理の超越的実体性の保持は、地方=分権権力に対する全体=統一権力の絶対性の主張。
〈明代中期以降の主気主義の台頭〉

Ⅲ 朝鮮の主理主義と主気主義
朝鮮では16世紀に主理主義を確立した李退溪が登場するや、李栗谷に代表される主気主義がそれに対置され、以後李朝末期に至るまで両派が対立を続けながら並存。
〈李退溪の理気論〉
朱子同様に理の気に対する根源性、及び理の超越的実体性を是認。
〈李栗谷の理気論〉
李栗谷は明確に理が気に先行する超越的実体であることを否定する。しかし理が気に先行することを否定する栗谷にあっても理は気に対して主宰者である。
〈四端七情論〉
退溪は当初、「四端は理発す、七情は気発す」としたが、理と気は共に万物に同時に内在することが表現上は欠落している点に気付き自覚的に修正を加え、「四端は理発して気之に随ふ」、「七情は気発して理之に乗る」と修正。
この退溪説に対して、栗谷は、「具体的な事物上にありては理と気は常に同時に存在し、理は形体のない懸空なるものであること、それ故に理が独自に発動することはありえない」として、「気発して理は之れに乗るのみ」と論断した。両者の理気論での見解の相違が、そのまま四端七情における相違となっている。

Ⅳ 郷村・地域と統一権力
〈李栗谷の『社倉契約束』〉
壬辰倭乱以前に士族と下人を同一の洞約・郷約の構成員とした先駆的洞約。だが、士族と下人との間には隔絶的差異が設定。士族の特権身分が強く表面化。
士族の下人(=良人と賤人)に対する裁判権は士罰(答四十)まで、それを越える場合は官の担当。
〈退溪の『温溪洞契』〉(1548~1625年、『嶺南郷約資料集成』所収)
両班と奴婢のみの同族村落で実施。下人は排除。
退溪の温溪洞契では、当時の国法を遵守し、賤人に対しては士族による裁判権を全面的に認めるのに対して、良人には士族による裁判権を禁止して国法=官に委ねる。
李栗谷は在地士族の良人に対する事実上の支配を、社会実態に合わせて在地士族による裁判権の分有を制度的、公的なものとしている。理の実体性、超越性の希釈化は在地士族による統一権力への撃肘。他方、李退溪は在地士族による良人への事実上の支配が行われている現実を認識した上で、敢えてそれを禁止するように要請、理の実体性、超越性の強調は、統一権力=朝鮮王朝の絶対性の強調。

Ⅴ 冊封体制とナショナリズム
〈李退溪〉
南北の敵への警戒心。退溪の現実政治に関する史料は大変少ないが、その限られたものの中でも満州(北虜)と日本(島夷・南倭)へは強い危機感。だが、退溪は、南北からの大規模な進入の危機が目前に迫っているとはいわない。
中国との関係。退溪は、明を天下の支配者であることを認め、冊封関係を肯定。中国皇帝と朝鮮国王は名分上は君臣関係、中国側からすれば朝鮮との関係を安定させえるのみならず、朝鮮を経過して中国に侵入してくる敵に対して朝鮮が盾となってくれるのに対し、他方朝鮮側からすれば中国との関係を安定させえるのみならず、国内外の敵に対して一定程度中国の力を借りうる。
退溪は教育と講学に其の努力を傾注し、君臣の義を含む五倫を士族たちの心中に内面化しようと努力。この努力が成功した場合には、中央集権国家の再建と国内の権力闘争の防止を実現し得ようが、それは李退溪にとっても長期的な過程であったはず。李退溪には目前の南北からの危機はそれほど現実味のあることではなかったのではないか?  退溪が理=全体の超越性、絶対性に執着したのは、朝鮮の国王権力のみならず、冊封体制全体の安定のために中国の皇帝権力を絶対化するためでもあったと思われる。
〈李栗谷〉
李退溪と微妙かつ重要な違いがある。①大胆な軍制改革実施を主張。特に「十万養兵」の主張。②檀君の歴史的存在としての肯定③箕子不臣説。
◎栗谷的な全体主義に対する相対的な個別主義の強調は、冊封体制の中での抑制された朝鮮の独自性の主張。自立性の高い個別地主の視点から朝鮮国王権力の超越性、絶対性に一定の制約を付せんとするのみならず、中国中心の冊封体制の中での朝貢国の地位に置かれた朝鮮の自己主張である。だがその自己主張は未だ遠慮がちで一定の懐疑・批判でしかなく、朝鮮国王・中国皇帝の権威の否定にまでは相当の距離がある。未だ朝鮮ナショナリズムは潜在化したままである。

Ⅵ むすび

(都留文科大学)

【自然科学分野 自由論題報告要旨】

末期患者の問い
金 英 一


人間は、人間だけが、言葉によって過去と未来を知り、「いま、ここ」という時空を超えて非在の現前を知る。死ぬのは人間だけである。
「死」はひとつの生物学上の現象であり、一社会現象である。しかしそれは我々が一度は取り組まなければならない真摯な哲学上の問題でもある。
我々は決して死を経験できない。誕生が我々の未来形にならないように、死は決して過去形にはならない。「誰でも死ぬときにはこの世の人々の中で最初に死ぬ」(イヨネスコ)。
人間は必ず死ぬべき存在である。それは知っている。しかし、「私は自分がある日死ぬことを知っているが、これを信じない、自分がある日死ぬことを知っていても、心のそこまで納得していない」(J・マドール)。
「自分自身の不死性を、神を、無意識の内に信じていない人間がいたら、一人でも見せてもらいたい」(ラカン)。

 第三人称の死、第二人称の死、第一人称の死(ジャンケレヴィッチ)
第三人称の死──死一般、抽象的で顔をもたない無名の死。客観的な分析の対象。非人格的であり、非時間的である。
第二人称の死──近親の死、そこでは我々は死と差し向かいの状態で残される。愛する存在の喪失、心を裂くような悲しみ。この特質は現在である。
第一人称の死──未来。私の死は、わたしにとってすべての終末、私個人の実存在の決定的な全的終末であり、全宇宙の終末、世界の終末であり、歴史の終末だ。しかし、私が死んでも、世界はいわば微動だにせずに続いている。自分自身の死の客観的な無意味さ。
死をみとることは戦慄を呼び起こす。人間は決してそれに慣れることはできない。それがいかに日常的なごく正常な出来事であるにせよ。
黒沢明『あかひげ』の一シーン。
宮崎学の写真集『死』
死は、それでも日常的なありふれた出来事である。しかし、それが何故かくも恐怖の対象となるのか。ひとつは、現代においてそれは隠されているからである。病院での死、それは80%を超える。それは確かに社会の「医療化」と関係がある。湾岸戦争
死を前にしたとき人は何を考えるのだろうか?
キュプラー・ロスは数千人の末期患者へのインタビューを行った(「死ぬ瞬間」読売新聞社)。彼女はその中で死を迎えつつある患者が死を受容するまでの心の移り変わりを5つの段階に分けている。第1段階・否認と隔離、第2段階・怒り、第3段階・取り引き、第4段階・抑欝、第5段階・受容。彼女の行った「死の臨床」というセミナー。

トルストイ「イワン・イリッチの死」
1.イリッチの死の公告
同僚たち、人事異動への関心、死んだのは俺でなくてあの男だ。
棺の前に立つ同僚、彼の感じる不快感、彼もまたイリッチと同じように死ぬことが予感される。
イリッチの妻
2.イリッチの生涯
優等生としての彼。予審判事としての職業に対しての満足。結婚。
「軽く上品に、愉快に」友人たちとの会話やカード遊び、妻との仲たがい
3.病気の始まりと進行
右わき腹の痛みと口の苦さ、そして受診。医師─患者関係と判事─被告関係
「死」の現前 ある時彼は根本的な疑問を覚える、問題は腎臓や盲腸にあるのではない、生きるか死ぬかということなのだ。そうだ、もとは命があった、それが今は逃げている。「自分が死ななければならぬということは、ありうべきはずがない」(死の否定)。
4.問い
「彼は自分の頼りなさを思い、自分の恐ろしい孤独を思い、人間の残酷さを思い、神の残酷さを思い、神の存在しないことを思って泣いた」「しかし、いったい何の罰なのです!いったい私が何をしたというのです!」
5.「死」の受容
「ああ、そうだったのか! 何という喜びだろう! もう死はおしまいだ。もう死はなくなったのだ」。
我々は「問いを立てない」、こう教えられている。しかし、死を前にした人間は問いを立てる。それは「我々はどこから来たのか、我々とは何者か、我々はどこへ行くのか」という問いである。
死者が我々を見つめている、そして問いを立てよと迫ってくる。おそらく人が死ぬ現場で起こっていることはこういうことであろう。これを避けるためには、死を技術的な問題にすることである。問いに対する答のないところへは近づかないことである。

〈末期癌患者との対話〉
Sさん 48歳男性
癌性腹膜炎*IVH(経中心静脈的高カロリー輸液 24時間点滴)
「これから先のことについては、……ふたつしかありません。よくなってまた仕事をすること、……このままよくならなければ、……(主治医の)先生はできる限りの薬を使って治療してくれていますし、もう少しがんばればいい治療法ができると、……でももう少し何年かたって、医学がもう少し発展していたときにこの病気になっていたら、……て、……」。
「本当の胸の内なんて、言えたものじゃないでしょう」。
「今ほど仕事をしたいと思ったことはありません。食事をし、仕事をし、そんな平凡なことが大事だなって……」。
Kさん 74歳女性
直腸癌の転移再発(肺転移、閉塞性黄疸、頭部皮膚転移)
Hさん 83歳女性
頻便、脱肛、大腿骨頸部骨折
「問うという事が問いつつ自分で自分を変身せしめ(真の問うことはすべてこうなるのだが)、それがすべてを超え、すべてを貫いて一つの新しい場所を投げ開く……」(ハイデッガー〈形而上学入門〉)
「〈何故一体、存在者があるのか、そしてむしろ、無があるのではないのか?〉、これが形而上学の根本の問いである」(同上)
「もちろんどんな人も自己の人生を正当化できなければならない(あるいは死をも、それは同じ事である)。人はこの問題を避けて通ることはできない」(カフカのノート)。
「イリッチはすっかり面変わりがして、同僚が最後に会ったときから見ると、また一段と痩せていた。しかしすべての死人の例にもれず、彼の顔は在世の時よりも美しく、第一もっともらしかった。その顔には、必要なことはしてしまった、しかも立派にしてのけた、とでもいうような表情があった。のみならず、この表情のうちには、生きているものに対する非難というか、注意というか、そんなものが感じられた。この注意の色が、同僚の目には、場所柄不似合いなものと思われた。少なくとも自分には関係のないような気がした。彼はなんだか不快になってきたので、もう一度せわしげに十字をきると、余りにもはしたないほど慌ただしく(彼は自分でそう感じた)くるりときびすをめぐらして、入り口の方へ行ってしまった」(「イワン・イリッチの死」第1章)

結論

(はなぶさ診療所所長)

タンパク質科学におけるコンピュータ利用の現状について
李 吉 誠

 
タンパク質は筋肉を構成する主成分であるが、代謝、運動、免疫、遺伝等のさまざま生命現象は、実は生体中のタンパク質が担っている。
もちろん、1種類だけのタンパク質がすべての機能を果たしているのでなく、それぞれ、働く場と役割に応じて大きさも形もさまざまなものがある。

1.遺伝子とタンパク質
どのようにしてタンパク質は生成されるのか

2.タンパク質構造と解析
タンパク質の構造と、その実験的解析
3.一次構造解析
決定されたタンパク質の1次元アミノ酸配列と既知アミノ酸配列との間の関連をみる、ホモロジー、モチーフ検索

4.タンパク質立体構造予測
タンパク質の機能の解明に必要な立体構造のアミノ酸配列からの予測

(㈱アプロサイエンスシステム開発部)

コンピュータセキュリティ
金 昌 一

 

 情報通信技術の急速な進展は、インターネット、イントラネット、エクストラネットといった新しいネットワークインフラを登場させ、コンピュータの利用形態もスタンドアローン、クローズ・ネットワークからオープン・ネットワークへと大きく変わろうとしている。そのような中で、情報の安全性への脅威は、質的にも、量的にも高まっており、インターネットを利用した外部からの不正アクセス、データ改ざん、盗聴、ウイルス侵入など、今までは考えられなかったような危険が、今日の情報化社会に浸透しつつある。
一方、コンピュータネットワークの利用面においては、インターネット上での電子マネー、電子決済などのエレクトロニック・コマース(電子商取引)の実験も盛んに行われており、その発展を支えるのが暗号技術と認証技術などのセキュリティ技術である。
このようにコンピュータセキュリティは、21世紀の高度情報通信社会において、最も重要な基盤技術となる。
現在、コンピュータセキュリティの分野において、中心テーマであるインターネットにおけるセキュリティ技術についてまとめると、大きくは3つに分けることができる。
①アクセス制御 不正アクセスの防止(ファイアウォール)
②データ保護 ウイルス対策(ワクチン・ソフト)
盗聴/改ざん防止(暗号)
③ユーザ認証 ID、パスワード、デジタル署名
上記の内容を中心に説明していく。

(大阪情報コンピュータ専門学校)

 


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〔西日本地域研究会報告要旨〕
第32回 1998年5月30日(土) 15:00~17:00 OICセンタービル4F会議室

8・15解放から朝鮮人学校閉鎖までにつかわれた国語科教科書について
韓 南 洙 

 

 1945年10月に在日本朝鮮人連盟が結成された。その活動のひとつに文盲退治(いまでいう識字運動)があって朝鮮語の普及運動がくりひろげられた。日本各地に大小さまざまなかたちで国語講習所が開設された。これが学校として組織されていくうちに独自の教科書が必要になり、1946年の初めには教材をつくる委員会が発足し、国語、算数、地理、歴史、理科などの教科書を編集・発行していった。このときのスタッフに李珍珪、林光徹、魚塘、許南麒、李殷直の名が記録されているが、この人たちはのちの在日本朝鮮人総連合会(1955年結成)でも教育活動にたずさわることになる。教科書編集の基本方針が定まるや執筆、印刷、製本、配布というふうに活動がつづくわけだが、資金の調達もさることながら用紙の確保には想像を絶する苦労があったようだ。そこへもってきて当時の他の出版物同様にGHQのきびしい検閲にさらされることになり、出版計画がスムーズにすすまなかった。
1946年度に発行されたものを土台にして教育実践をつみかさねながらその内容を改善していった。この過程で日本の民主的、進歩的な教育学者の協力があったこと、そして本国の学者の協力があったことを記憶にとどめておく必要がある。その結果、教科書の内容は一貫して民主主義的、民族的、科学的なものになっている。当時の日本の教科書とくらべても遜色はない。
いま報告者の手もとにある国語科教科書は現物とコピーをふくめてつぎの5冊である。
(高正子、朴鐘鳴両先生の協力)
1.초등 국어독본 巻一 第一学年用
朝鮮人連盟文化部版 1946年8月
2.초등국어 전기용 1 
조련 문교국 1947年10月(訂正再版)
3.초등국어 2-1
군정청 문교국 1947年12月
4.초등국어 3
조련 문교국 1947年7月
5.조등국어 교본 3
中央出版社 1950年6月
(以上すべて手書き、オフセット、一色刷)
内容の詳細な分析は略するが、上記の教科書に限らず教科書名、発行所、発行年月日、ページ数、発行部数などの完全なリストはまだできていない。ましてやその現物を一堂に展示してみることは困難だ。またその教科書でどういうふうに教えたのかを知ることは関係者の老齢化、死去にともない今となってはむつかしい。しかし、つぎの3つの研究論文はすぐれたものでここに紹介しておく。
1.藤井幸之助 『放後、日本における朝鮮人学校の国語教科書(1945-50)』
『在日朝鮮人史研究』第17号 1987年9月
在日朝鮮人運動史研究会
2.鮎沢譲 翻訳・解説
「『朝連』期朝鮮人学校における国語教科書」
『海狭』14 朝鮮問題研究会
3.김덕룡

조련의 교과서편찬 및 출판보급사업에 대한 고찰
「사회과학 론문집」 주체
재일본조선사회과학자협회 87(1998)


報告者のこれからの研究課題としては、朝連期の国語科教科書を内容はもちろん言語学の側面から語彙、正書法、語法、文体等を当時の本国の教科書、現在日本の各級朝鮮人学校でつかわれている教科書(学友書房刊)と比較分析する作業をすすめたいと思う。

(大阪外国語大学非常勤講師)

 

第33回 1998年8月1日(土) 15:00~17:00 OICセンタービル 会議室

近代朝鮮の商人像
裵 龍

 

 朝鮮の近代史において「朝鮮における資本主義の萌芽は希望的観測」(C.J.Eckert)に過ぎないのか、という問いにいかに答えるかという問題は常に重要な問題となっている。朝鮮社会内部における発展と、1876年に訪れた開港という近代の大イベント、すなわち外部からのインパクトをどのように捉えるべきか、という問題である。周知のごとく、外部からのインパクトを「発展の決定的契機、原動力」としてその中心に据えるのであれば、「発展しなかった、もしくはし得なかった社会」を認める「停滞論」、「外因論」そして「他律性理論」といった今日においても最も蔑視される視角への「転落」とみなされる。しかしながら、これらの視角、アプローチが、日本による朝鮮の植民地支配という、朝鮮側にとって「消し去りたい歴史」と密接な関連性を持っていたがために問題とされたことを強調しておきたい。

 1945年、朝鮮の解放以降の研究は自ずとそれまでの「朝鮮の歴史像」を覆すことにその重点が移された。そしてそれは、とくに1960年代以降の新興独立国の急激な資本主義化とともに、その原因、原動力などにたいする興味、学問的関心を喚起した。一部例外もあったが、朝鮮史の分野においても「内からの発展」を証明する研究が主流となっていく。しかし、1945年以前の「前科」は、日本人研究者をして「停滞論的」もしくは「外因論的」アプローチにたいする、時に過度とも言える警戒心を抱かせ、また朝鮮人側にもそれにたいする寛容が不足していたことも事実である。「支配と被支配の歴史」は未だ「近い過去の出来事」であった。

「内からの発展」を論じるにあたっての「発展の基準」はマルクスをはじめとする「発展段階論」、すなわちは「近代=資本主義化」の構図に求められた。そしてそれは朝鮮の近代社会内部において推し進める(正確には推し進め得た)主体の選別とそれへの考察を必要とした。1950年代後半から朝鮮民主主義人民共和国の歴史学会によって提起された「萌芽論」がまさしくそれである。
「萌芽論」は過去の「停滞論」、「他律性理論」などに激しく反論しつつ朝鮮社会内部における「資本主義的なもの」の選別とその実証を展開する。他を省略して朝鮮の場合に限っていうと、資本主義的なものすなわち朝鮮の近代を体現できる概念の一つとしてその主たる対象となってきたのが私商である。その理由としては概ね次のようなことが言える。①旧来の御用商人との違い(既成の商体系に挑戦する勢力として登場したという点)、②権力的基盤の脆弱性(既成権力との結びつきという点)、③開港による外からのインパクトにも比較的柔軟に対応した(国内において外勢と競争関係にあったという点)、④ある程度の蓄積を遂げた者も存在した。
そしてその代表の一つとして論じられたのが開港場客主であった。萌芽論を論じる上で、生産過程それ自体ではなく一商人群=「客主」(流通過程)に焦点を当てること自体に問題もあろうかと思うが、その存在と活動が萌芽論のある部分を支えていたことは事実であり、よって一定の妥当性はあるものと考える。萌芽論において、開港場貿易の体系の中で独自の地位を占めた開港場客主は、それ以前に国内で既に登場した客主の存在と相俟って「発展的変遷」を遂げた商人群として捉えられた。すなわち、開港場客主は「萌芽→発展→従属(萌芽の歪曲)」を体現した商人層として捉えられる。
しかしながら、開港場客主の活動は、①開港という新たな条件に機会を求めた朝鮮の一部の商民の対応の結果であり、その継続性も明確ではない、②権益確立後の特権化への方向性(それ以前の主人権についても同様であった)、③現実には外勢との対決ではなく、手を結んでの商活動、④資本の蓄積も少なく、開港後30年で多くが淘汰された、という存在とその性格から見ても、「萌芽」(もしくは「的存在」)の一つとするには無理がある。それとは逆に、外圧が権力の経済活動への介入を排除し、資本蓄積への誓約を取り払った、という側面を持っていたことも事実である。もちろん、開港場客主が登場するだけのノウハウ、意識がそれ以前に蓄積されていた、という解釈も可能ではあるが、そこには「萌芽」とそれ以外のものを明確に識別するだけの基準は存在しない。それらを無批判に今日の韓国資本主義、共和国経済と結びつけることは、さらに無謀な飛躍といえる。

 萌芽論の登場は「朝鮮社会の発展の方向性」、言い換えれば「こうあったべき/はず」という論理と密接に結びついている。近代における外圧(External Force)の役割は大きい。近代の外圧への評価における日本と南北朝鮮との間の大きな隔たりには、開港後に両者が辿った歴史の違いが投影されている。萌芽論それ自体の意義、時代的要求を十分に踏まえつつも、朝鮮近代史の新たな枠組みを明確にすることが重要であろう。しかしながら、文頭の「希望的観測」には同意しない。影響は認めるが、「移植」には同意できないからである。

(ロンドン大学大学院)


〔東日本人文社会科学研究会報告要旨〕
第16回 1998年6月27日(土) 15:00~18:00 大阪経済法科大学・東京セミナーハウス4階小会議室

朝鮮民主主義人民共和国の核問題と国際社会の対応 (他地域との比較を含む)
片桐 未佳

 

1.報告の目的(序論)
1990年代に入り、東西冷戦が崩れ始めてきた時期に、米ソの核抑止による安全保障体制から第3世界への核拡散という問題が出来てきた。その発端とも言えるものが、1991年のイラクの核開発問題と、1993年の朝鮮民主主義人民共和国(以下『共和国』)の核疑惑であった。
本報告は、それぞれの核問題をめぐり、国際社会が各々の国にどのように対応していったのが、その比較・検討をした。

2.「第3世界」の核問題の成り立ち
①1991年の湾岸戦争の特徴は、冷戦時代とは形を異にする(天然資源等が根底にある)地域戦争であり、イラク側もハイテクミサイルを駆使していた、ということである。
このようなことが、第3世界への核拡散という疑惑が浮上した契機となったと言える。国連側は、安保理決議にのっとって、イラク国内の武器・核関連施設の調査をくまなく行った。その結果、イラクが、IAEA(国際原子力機関)の査察対象外で核開発をしていたことが発覚した。
②共和国の核疑惑は、米国の人工衛星が1990年に未申告の核関連施設が首都平壌より北方にあるという情報を送っていたが、1992年以降6回目のIAEAの査察過程で国際世論として顕在的になった。これは、単なるプルトニウムの量の誤差から生じたものではなく、前述のイラクの教訓から、国際社会が核拡散に対して過敏になっていたという背景があった。米国をはじめとする国際社会が『第2のイラク』を探していた矢先に起き、共和国がIAEAの特別査察を拒否し、NPT(核拡散防止条約)の脱退宣告をして、よりいっそう疑惑が深まった。
③報告のメインである、両者に対する国際社会の対応の比較であるが、イラクのケースは、湾岸戦争後、国連安保理決議に従って査察・調査を行った。よって、国内の核施設を無制限にアクセスすることができた。その結果、秘密裡の核開発が判明された。
共和国のケースは、あくまでもIAEAの保障措置協定に基づく査察であり、査察する側に制約があった。よって、共和国側が国家主権を明示し、疑惑を解明するには至らなかった。
両者の背景や査察プロセスは全く異なるにしても、国連とIAEAが連携しながら各々の国に対応していったという点で一致している。そして、冷戦後の核不拡散体制を築くための、特徴的な行動であったと言える。

3.問題提起(結論にかえて)
①核の国際的管理と国家主権について
IAEAの特別査察は当該国の主権の侵害に当たるか。また、未実施に終わったにせよ、共和国が特別査察を要請された初めての国ということで、拒否する理由となり得るのか。
②米朝合意で決まった軽水炉建設と米国からの重油供給を、共和国側が「引っぱり出した」ものと判断できるか。
以上の2点を問題提起し、議論を深めた。

(国際問題研究者)

 

〔科学技術部会研究報告〕
第16回 1998年9月26日(土) 15:00~17:00 OICセンター 会議室

マルチメディア時代のソフト産業
金澤 孝行


マルチメディアとは
文字、画像(映像)、音声などすべての情報をデジタル化する
・デジタルデータなのでコンピュータ処理とデータ通信ができる
加工性:データの自由な加工・編集ができる
伝達性:リアルタイムで通信できる
保存性:情報の劣化がなく、大量データ蓄積
関係性:データにリンクがはれる
双方向性:マスメディアの一方向性を打破

マルチメディア時代の背景
グローバル、ボーダレス世界
メガ・コンペティション時代
ネットワーク社会
標準化問題
消費化/情報化社会
成熟化社会

グローバル、ボーダレス社会
ペーパーマネー時代
電子・コンピュータ技術の発展
ネットワーク社会
・71年ニクソン・ショック:大量な資金の流動
・冷戦構造の崩壊:東欧、ロシア、中国の市場経済への参入
・アジア諸国の台頭:資金の流入、電子技術・コンピュータ技術で工業生産
・情報が経営資源:情報の共有、流通が重要

メガ・コンペティション時代
グローバル経営:企業の国際化
ビッグバン(規制緩和)
コスト競争:リストラ、リエンジニアリング、情報化投資
スピード経営:ERP、SCM、SFA、DWH
グローバルスタンダード:ウィンテル
国際標準:ISO9000・14000、EC、CALS、EDI

ネットワーク社会
インターネット、イントラネット、エクストラネット
・1969 国防省のARPANETが開始
・1983 MILNET(軍事用)とARPANET(研究用)に分離、TCP/IPで統一
・1984 日本でJUNETの実験開始
・1986 NSFNET運用開始
・1991 インターネットの商用化始まる
・1994 WWWの登場

インターネットの特徴と機能
時間、空間、社会、文化の制約を越えて、同時性、匿名性、双方向性、関係性をもつ
5C機能
・コミュニケーション(communication)
・コレクション(collection)
・コミュニティ(community)
・コラボレーション(collaboration)
・コマース(commerce)
インターネットの現状
日本
・プロバイダー数約2466社(97年12月)、接続ホスト95万台、インターネット人口790万人(97年6月)
世界
・ホームページ 3億2000万ページ(97年)
・電子メール 2兆7000億通(97年)
・6000万人のインターネット人口(97年、98年には1億以上)

ネットワーク社会の新たな枠組
情報スーパーハイウェイ構想(NII、GII、CIC、NGI)
95年 G7で電子政府プロジェクトの合意
97年 電子取引のフレームワークが日欧米から発表
97年 FRBのグリーンスパン議長の情報革命宣言
・ニューエコノミー論台頭
98年末 国際会計基準(IAS)成立

日本における取り組み
95年「行政情報化推進基本計画」
・行政分野の情報化、社会の情報化の底上げを狙い、99年までの5ヵ年計画から、さらに2002年まで延長
通産省「EC環境整備研究会」(96~)
郵政省「電子決済、電子現金とその利用の研究会」(96~)
電気通信審議会「情報通信21世紀ビジョン」「サイバー法」(97)
大蔵省「電子マネー懇談会」「新電子マネー懇談会」(97~)
法務省「電子取引法に関する研究会」「電子署名法」(97.3)
警察庁「情報システム安全対策指針」(97.9)
内閣「電子取引等研究会」(97.9)
CALS、EDI、EC、電子マネー
CALS(Continuous Acquisition Life-cycle Support または Commerce At Light Speed)
:生産・調達・運用支援統合情報システム
EDI(Electronic Data Interchange)
EC(Electronic Commerce)
電子マネー
・プリペイドカード型、クレジットカード型
(サイバーキャッシュ、ファーストバーチャル)、預金通貨利用型(SFNB、FSTC)、現金通貨模倣型(モンデックス、eキャッシュ)

サイバービジネスの基盤

グローバル競争時代の情報技術

経営の変革(情報技術の活用)
規模の経営からスピードの経営
・囲い込み型、フルライン型経営戦略の限界 階層構造からネットワーク構造
・リストラ:不採算部署、人員の整理、事業の再編
・リエンジニアリング:業務(機能)の合理化効率化
プロダクトアウトからマーケットイン
・リアルタイムのマーケティング
・コスト低減とサービスの向上

情報システム開発の流れ
業務系から情報系、差別化システムから標準システム、ローカル・システムからグローバル・システム
カスタム・メイドからパッケージの利用、社内開発からアウト・ソーシング、派遣から専門家の水平分業
属人的技能から組織的知能、労働集約型から開発環境集約型へ(技術革新、社会環境の変化)
スタンダードに準拠(データの共有、活用)
ニッチ(独自性)からコーペティション(標準のプラットフォームに付加価値)

ソフト産業の方向
製造技術から組合せ技術へ
独自システムからスタンダード・システムへ
技能から知能へ
モノの創造から関係の創造へ
一般資格からスペシャリストのライセンスへ
ネットワーク活用とネットワーク関連ビジネス
・教育、環境、福祉、標準化

(㈱ダグシステム代表取締役)

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ソウル支部結成大会に参加しました!
権 偕 美


今年の7月14日、待ちに待った国際高麗学会ソウル支部が結成されました。本部から会長、事務局から事務総長をはじめ3名が、日本支部からは代表が参加なさいました。私は本部事務局の事務を担当する者として、一応お手伝いのつもりで行かせていただきました。(でも準備はすべて万全に整っていて、私の出る幕はありませんでした……。)
韓国に行くのは留学から帰ってきて以来、実に6年ぶりで、私にとっては個人的にとても楽しみな渡韓でした。(実は本部事務局の某事務総長は初めての渡韓。韓国におられる間中、満面の笑みでした。)
7月12日にソウル入りしました。金浦空港に降り立った瞬間にする韓国独特のあの匂い!あ~そうそう、これこれ! 留学経験があるからか、はたまた私の中に韓国人の血が流れているからか、何とも言えない懐かしい気持ちになりました。その瞬間に、6年前の懐かしい韓国の姿が頭の中によみがえってきて、笑いが止まらなくなり、周りから見ると不気味なので下を向いて一人ニタニタしていました。しっかり捕まっていないと振り落とされそうになるバス、機嫌が悪いと乗せてくれないタクシー、1時間も歩いていると鼻の中が真っ黒になる埃っぽい道路、一度慣れると癖になる韓国料理、「もういいってのに」とイヤになるぐらい親切な韓国の人たち……そんなの、また経験できるんだな~……そうそう、愛想の悪い税関のお兄ちゃん(これは日本でも同じ)、これでこそ韓国、愛すべき我が祖国よ。
でも、あれ? 何か違う。そう、車の運転マナー。6年前は前後左右の車が我先に進もうと、ぶつかるすれすれにひしめき合ってたものだけど……マナー良くなったんだ。それと空気。砂埃が一日中空高く舞い上がっていたのに。今は向こうの方までよく見える気がする。韓国っていう国は本当に変化が早い……。おっと、感慨に浸りに来たんではない。仕事仕事。(っと思いつつ帰りにはしっかりと買い物で荷物が倍になっていた。)
13日~14日にかけて、「国際高麗学会ソウル支部創立記念 国際学術会議『東アジアの文字』」が高麗大学校の4.18記念館という新しく建設されたピカピカの建物で開催されました。これは、国際高麗学会言語部会、高麗大学校言語情報研究所、イリノイ大学Center for Advanced Studyの共催で、その名の通り、ソウル支部創立のお祝いも兼ねた学術大会でした。
会場に到着しました。後に副会長に選出される鄭光教授と言語部会委員長の金鎮宇教授にはホテルですでにお会いしていたので、とりあえずまずはじめにしたのはあるお二方を探すこと。美しい藤の横の『手を触れないで下さい』という看板に向かって「足なら触れていいのかな」、きれいな芝生の『立入禁止』という看板に向かって「座ってなら入っていいんだな」という名文句をつぶやかれた言語学者、金敏洙教授(後にソウル支部会長に選出される)と、実は事務局のメンバー誰もお姿を拝見したことのないすばらしくダンディーなお声の崔鎬哲教授(後に事務局長になられる)。鄭光教授と共に、ソウル支部創設のためにご苦労なさったお二方です。実は結成大会の日取りが決まってから会場に着くまで、「ほんとに結成されるの?」という不安を私は(たぶん事務局の方みんな)持っていたので、2年の歳月を経てお二方にお会いしたときはやっと「あ~ほんとに結成されるんだ」と、なんだかほっとしたような気がしました。
この学会が終わった後、いよいよ創立総会です。(前置きが長くなってすいません。)予定通り14日午後4時より開催されました。この総会にはソウル支部結成準備委員会の5名(金敏洙、鄭光、洪鍾善、金東彦、崔鎬哲)の委員の先生方をはじめ、約30名が参加しました。司会の崔鎬哲教授が開会を宣言され、金敏洙準備委員会委員長が、ソウル支部結成にいたる経緯の説明を含めて挨拶されました。そして準備委員会及び国際高麗学会の役員が紹介された後、趣旨文の朗読によってとうとう学会史上歴史的なソウル支部創設宣言が行われました(たぶん4時半頃だったと思います)。引き続いて役員の選挙が行われ、ソウル支部会長として金敏洙教授、副会長として鄭光教授、他、監事として裵潤徳教授と金恵淑教授が満場一致で選出されました。その後、新たに選出されたソウル支部新会長と新副会長が、これまでのご苦労とソウル支部にかける思いを込めて挨拶されました。そしてこれまでソウル支部結成のために準備委員会の先生方と共に尽力なさった本部会長と日本支部代表がお祝いの挨拶をなさいました。(趣旨文、会則等については学会のホームページをご覧下さい。 http://www.isks.org)
実は高麗学会は、90年に発足以来、この日まで約8年間、南北朝鮮両方に支部を作ることを大きな目標として掲げてきました。何度かの模索のすえ、96年3月にとうとう平壌支部が設立され、同年8月にソウル支部の結成大会を開催するところまでこぎ着けたのです。ところがなんとすべての準備が万全に整った結成大会の数日前に「諸事情のため無期限延期になった」という連絡が入りました。私は学会の事務をさせていただくようになってから数ヶ月しか経っていなかったので、それまでの経緯は全く経験していません。しかし、その時の会長をはじめとした役員の先生方の落胆ぶりを見ているだけで、どれほどの情熱をかけてこられたのか、どれほどのご苦労があったのかを知ることができました。ソウルで直接準備をなさっている先生方はなおのことです。ですから、今回のソウル支部創立総会は、名実ともに歴史的で感動的な場となりました。総会が終わった後、先生方はみんな互いに握手しあい、抱き合って喜んでおられました。後に、「口では言えない苦労がたくさんあった」と、ソウル支部のある先生が言っておられるのを聞きました。本当におめでとうございます!
国際高麗学会は、いろんな方々の熱い思いとご苦労の末に、平壌とソウルに支部のある学会となりました。南北朝鮮に支部を持つ初めての学会だと聞いています。その事実と総会での感動的場面が重なって、とても胸が熱くなる思いです。今、ソウル支部では続々と会員が増え、部会もいくつかできたという近況を聞きました。私もがんばらなきゃと思いました。
数日前に、ソウルのあるスルチプ(居酒屋)でソウルの先生方と本部事務局の3名が飲んでいるときに撮られた写真が送られてきました。みんな、心から楽しそうで、今まで見たこともないようなすばらしい笑顔でした。もちろん私も。個人的にも歴史的な忘れられない日となりました。いい経験をさせていただいて、本当にありがとうございました。

(国際高麗学会本部事務局)


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〔国際高麗学会日本支部第5回評議員会〕
第5回評議員会が1998年11月14日、大阪商業大学において開催された。ここでは、まず滝沢秀樹代表により開会の挨拶があった。つぎに、1997年度の活動・会計ならびに1998年度の事業計画・予算案が報告され、そして98年度の活動中間報告もなされた。とくに会費納入率を高めること、論文集の刊行、他の学会との連携強化、学術大会の東京開催などについて議論が交わされ、それらが今後、より一層日本支部活動の活性化をはかるための課題として確認された。


〔国際高麗学会日本支部 第3回総会〕
第3回総会が1998年11月15日、大阪商業大学にて第3回学術大会終了後に開催された。第5回評議員会で提議され、確認された内容が報告され、承認された。


編 集 後 記

 本号は、学術大会に関して第3回目の特集号になります。学術大会、とくにシンポジウムは、回を重ねるごとに充実してきていると思います。報告者の先生方、ご協力いただきました会員の皆さまにお礼申し上げます。11月14日からは、マレーシアでAPECが開かれ、アジア経済危機の原因と教訓についての理解が求められ、そしてアジアの改革が最大の課題になっています。アジア経済のようなマイナス成長ではないが、現状維持であると思われるわが日本支部も、より一層の発展のために、何時にも増していいアイデアが必要となっています。会員の皆さまのご支援、ご協力をお願いします。このたび開設されました高麗学会のホームページなどを通じて、ご意見、ご感想などをお送りください。(C・K)

 10月は、例年になく暖かい日が続きました。これも、旧暦の閏月のせいだったのでしょうか? そのためか、日本支部第3回学術大会は、11月中旬とは思えない暖かさの中、多くの皆さまの参加のもとで、成功裏に終わりました。学術大会が終わった途端に、寒くなってきましたが、皆さまには、お体に気をつけて師走を上手に乗り越えてください。(金文子)