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국제고려학회 일본지부 소개

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日本支部通信

第7号 (1996.12)

特 集 

国際高麗学会日本支部 第2回学術大会

シンポジウム「現代韓国の政治と経済」

日時 1996年11月10日(日)午前9時
場所 甲南大学 10号館1F

 

問題提起:滝沢秀樹(国際高麗学会会長)
パネラー:李鍾元(立教大学)
木宮正史(東京大学)
谷浦孝雄(新潟大学)
倉持和雄(横浜市立大学)
横田伸子(山口大学)
司 会:文京洙(立命館大学)

戦後韓国の国際関係
李 鍾 元

 

 本報告では、いわゆる「NIESへの道」との関連で、戦後韓国の国際関係がどのような機能を果たしたのかを歴史的に素描したい。李承晩から朴正煕にいたる戦後韓国の歴代政権は、アメリカ主導の資本主義世界システムへの積極的な編入を意味する「従属的発展」を自覚的に追求した、紛れもない「対外依存的」な政権であった。しかし、ここで注目すべきは、こうした世界システムの構造的制約のなかで、相対的位相を高めていく過程としての「NIESへの道」を可能にした一つの要素としての「ナショナリズム」である。
アメリカの冷戦戦略の落とし子として、「外/上から」かぶせられた性格の強い韓国の歴代政権が、一定のナショナリズムの志向性を示した理由として、とりあえず2点を指摘できる。まず、大きな背景として、イデオロギーの左右を問わず、政治経済的な脱植民地化の要求は戦後の第3世界一般と同様に、韓国国内にも広く共有されていたという状況がある。さらに、皮肉なことに、歴代政権の「外生的」出自が、政治的正当性とも絡んで、経済的「自立」を促進する結果となった。そして、そのナショナリズムの国家戦略において、最大かつ唯一の武器となったのは、冷戦の「前哨国家」としての戦略的価値であった。冷戦状況の利用に国家建設の機会と資源を見いだそうとする「戦略」は、戦後韓国の対外政策にほぼ一貫している。
「冷戦激化型ナショナリズム」の対外戦略は、単独政府樹立運動から朝鮮戦争前後の北進統一路線にいたるまで、李承晩政権の全期間を貫いている。彼は、アメリカ国内の反共強硬派の「巻き返し」論と連携し、韓国を台湾、インドシナなどと結びつけ、アジアにおける反共の最前線に位置づけることで、アメリカ政府主流の日本重視政策に対抗しようとした。「親日派」と批判される朴正煕までもが、こうした対外戦略を引き継いだのは、戦後韓国にとっての「日本問題」の大きさを物語っている。朴正煕政権のヴェトナム派兵は、李承晩のインドシナ派兵への執念の延長線上にあり、明らかに韓日国交正常化という選択に対するカウンター・バランサーを意図したものであった。参戦に伴う経済効果とともに、それを外交的基盤としようとする願望は、ASPACという笑劇への期待として表れた。挫折はしたが、「冷戦便乗型リージョナリズム」の国家戦略と名付けられよう。
しかし、こうした冷戦ナショナリズムは経済的には一定の成功を収めつつも、それ自体の内在的矛盾によって、次第に行き詰まり、変容を余儀なくされる。第1に、冷戦の激化の選択は、必然的に民族共同体の分裂を激化させただけでなく、韓国の希求した外交的選択肢そのものを大きく制約した。ヴェトナム派兵は、「第2戦線」としての朝鮮半島の緊張を高め、それへの対応としての内政の独裁化は、対共産圏や非同盟諸国への外交攻勢をとん挫させたのみならず、日米との関係をもゆるがす結果となった。第2に、経済的変化は、社会・政治的変化をもたらし、国際関係においても、金泳三文民政権の「新外交」にみられるように、リージョナルかつグローバルな志向を強めつつある。まさに、現在の韓国の国際関係は、「民族派」と「国際派」という2つのイメージのせめぎ合いの段階にさしかかっているといえよう。

(立教大学)

 

開発独裁・民主化・そして世界
木宮 正史

 

 本報告の目的は次の3つである。第1に、開発独裁体制である朴正煕政権の生成・変動・帰結の政治力学を、(1)権力内部における構造変化(2)政党体制の変化(3)政治体制の変化という3つの角度から解明することである。そして、体制の生成・変動プロセスを規定した要因として(1)国際関係:冷戦構造および国際分業体制とそれに対する認識、具体的なレベルでは対米関係、対日関係、対北朝鮮関係(2)経済政策の志向および経済実績(3)民主化運動の展開との相互作用を重視する。
朴正煕政権に対する評価は、一方でその経済発展の成果に対する肯定的評価が強調されるが、他方で、その人権弾圧と民主主義に対する蹂躙は非難を免れるものではない。こうした明と暗の2つの側面を合わせてどのように評価するかは難しい問題であるが、朴正煕政権18年を一つの時期として評価するのではなく、維新体制を前後する時期に分けて評価するべきではないかと考える。そして、朴正煕政権に対する最近の韓国国内における歴史的評価を参照しつつ、朴正煕政権をどのような基準でどのように評価したらよいのかという問題を提起する。具体的には、経済政策の展開をめぐる国家と市場との関係、冷戦構造と経済発展との関係を通して、その「民族主義」的性格について考察する。
ところが、80年代後半以降韓国は、権威主義体制から民主化への移行を開始し、現在、民主主義を定着させようとしている。なぜ、どのような政治力学によって、民主化への移行が開始されたのかを解明するのが、第2の目的である。
経済発展が民主化をもたらす一因になっていることは認めるとしても、経済発展が民主的な志向を持った中間層を増大させることによって民主化がもたらされたという仮説、もしくは、市場経済の発展が、社会における資本家や中間層の、国家からの自律性を高めることによって、市民社会の発展をもたらし、民主主義をもたらしたという仮説は、ともに、経済発展と民主主義を無媒介に結びつけるという点で、近代化論の復活版ともいえる。
民主化運動の担い手およびその思想を分析することにより、民主化運動が、一方で経済発展の恩恵を享受しながらも、他方で経済発展の過程で犠牲にされた利益を代弁しようとしたものであったことに注目する。また、民主化の国際的契機に関しても、民主化を求める国際的な圧力が直接に韓国の民主化を促したのではなく、民主化運動が韓国の民主化に対するアメリカ政府の政策を転換させる契機になったという点を強調する。
ところで、このような民主化への移行は、韓国だけでなく他のアジア諸国でも起こっているし、さらには、グローバルなレベルで「民主化の第3の波」という現象が指摘されている。他地域と比較して韓国の民主化への移行の特徴を何に求めることができるのかを考察する。
韓国は、政治的な民主化とともに、その民主主義を定着させるために経済的民主化という課題にも取り組んできた。その背後には、経済発展が、国家と財閥(チェボル)によって担われてきたことによって、市場経済の自律化が達成されず、また、市場に対する独寡占支配が顕著であり、経済正義が実現されていないという点で、非民主的な経済構造が定着してしまっているという現状認識がある。
ところが、そうした経済の民主化という課題は、単に市場経済に委せるだけで是正されるものではない。そこで民主主義を経済領域にまで拡大することが必要とされるようになっている。ただし、それを達成する手法が、手続き的な民主主義から逸脱する傾向にある点も指摘されている。
他方で、経済先進国の隊列に加わるという国家目標を達成するために必要な競争力を確保するための経済自由化を「世界化」という国家目標の一環として進めている。そして、この世界化と民主化とは一方で相互補完的な関係にもあるが、他方で、衝突する場面も存在する。
この世界化と民主化との関係を考察することにより、韓国の民主主義はどのような段階にあるのか、そしてその民族主義は何を目指そうとしているのかを解明するのが第3の目的である。

(東京大学教養学部・大学院総合文化研究科)

 

「権威主義政治」と経済開発
谷浦 孝雄

 

1.韓国経済発展の要因
①一定水準の競争の存在
②海外市場の開拓・輸入規制の緩和
(不足資源の対外依存)

2.権威主義政治と経済開発
①開発行政の確立と後見
②発展環境の造成
③変化する環境への対応

3.権威主義政治の優越性
①民主政治と既得権の「流動化」
②東西対立下の体制選択の限界
③市場の未熟と資源配分の計画性
④軍に対する制御(軍の超然化傾向)

4.市場経済の成熟と権威主義の後退
①「市場の失敗」と上からの先取り/福祉・環境政策
②「市場の克服」と下からの自立/NGO共同体・地方自治

(新潟大学)

 

現代韓国の政治と経済:農業
倉持 和雄

 

 私に与えられた分野は農業ということである。このシンポジウムの趣旨から細かな事実について云々するより、できる限り活発な相互議論や今後の研究課題の一助になるよう、多少大胆な問題提起をした方がよいかと思う。そこで必ずしも実証的でなく仮説的であるが、羅列的にいくつかの問題をあげてみたい。

(歴史的背景のなかの韓国農業)
第1に、解放後の自作農主義的家族営農の出発点を作り出した農地改革と韓国の工業化=経済発展との関連についてである。農地改革を実施した日本、台湾、韓国が等しくめざましい経済発展を遂げていることから、農地改革と経済発展との因果関係が広く認められているが、韓国の場合に農地改革が果たして日本や台湾と同じような脈絡で経済発展に貢献したといえるだろうか、この点を検討してみたい。

(韓国農業の政治的状況)
第2に、朴政権に始まる経済開発計画のなかで、政府は農業政策に対してどのようなスタンスであったのか、またそうした政府の政策に対する農民の反応についてである。朴政権は、当初、重農主義をうたい、セマウル運動を展開したが、そうした理念と実質はどうであったのか、また、農民は権威主義的政治体制のなかでいかなる役割を果たしたのか、この点を検討してみたい。

(開発経済論における韓国農業の意義)
第3に、韓国の経済発展は、農業と工業が均衡的に発展しえたモデルだとする説についてである。この議論では、工業発展が農業の過剰人口をスムーズに吸収し、農村における相対要素価格の変化が生じ、これに適応して機械化が進み、農業の生産性が向上してきた、と韓国の発展をかなり理想的にとらえる。しかし、この議論は、実際の韓国農業の展開過程と照らしてどう評価しうるのか、この点を検討してみたい。

(韓国農業の現状と将来)
第4に、韓国農業の現状と将来展望についてである。農業人口の急激な減少と老齢化によって農業の担い手の枯渇と農村の過疎化が進行している。また、ウルグァイラウンド妥結で農業の開放化が強いられ、その対応が迫られている。同じような問題状況は日本にもみられるが、日本に比べて、それが「圧縮的」に進行しているといえる。こうした急激な韓国農業構造変化の根底にあるものがなんであるのか、これを韓国農業の将来展望と関わらせて検討してみたい。

(横浜市立大学)

 

1970年代の韓国の労働市場
──韓国における「都市インフォーマル・セクター」論再考──
横田 伸子

 

 1987年の労働者大闘争をきっかけにして、韓国の労働研究は飛躍的に発展した。特に、それ以前には不可能であった、特定の産業、生産現場にまで降りた実態調査の進展はめざましい。しかし、こうした研究蓄積も、せいぜい80年代以降を対象としたものに限られ、70年代の韓国労働問題に関する論考はきわめて少ない。これは、70年代の徹底した労働統制下で、労働調査自体が難しかっただけでなく、公刊されている労働統計に不備な点が多いことにもよるだろう。本報告では、70年代末から80年代初めに行われた一連の「都市無許可定着地」の実態調査に依拠しながら、70年代の韓国労働市場の構造について考察したい。
1960年代後半以降の高度経済成長によって、韓国でも他の発展途上国同様、大量離農とそれに伴う過剰都市化(over-urbanization)現象が引き起こされ、都市(主にソウル)に流入した労働力の相当部分は「都市無許可定着地」を形成した。従来の二重経済論的なアプローチでは、「都市無許可定着地」を、都市の近代的経済部門(「都市フォーマル・セクター」)に雇用されない不完全就業層である「都市インフォーマル・セクター」とほとんど同様に捉え、両部門間には越えがたい断絶があると考えてきた。しかも、この構図は多くの発展途上国に当てはまる。
しかし、韓国の場合、70年代以降、特に重化学工業化が本格化した70年代後半以降、離農して「都市無許可定着地」に流入しても、そこから直接「都市フォーマル・セクター」に就業するケースが多くなっている。あるいは、いったん「都市インフォーマル・セクター」に入っても、短期間留まっただけで「都市フォーマル・セクター」に移る可能性が高くなっている。逆に、「都市フォーマル・セクター」の常用労働者になったとしても、数年後に「都市インフォーマル・セクター」に環流してくることも稀ではない。つまり、70年代以降の韓国では、「都市インフォーマル・セクター」と「都市フォーマル・セクター」の労働者の交流関係が強まっているといえよう。換言すれば、「都市インフォーマル・セクター」と「都市フォーマル・セクター」の境界があいまいになり、労働力移動のきわめて激しい、単一で広大な低賃金労働市場が形成されてきたということではないか。
ここでは、60年代から70年代の離農民の性格がどのように変わってきたかを検討し、都市労働者の職業遍歴をみることで、上のような労働市場構造を浮き彫りにしたい。また、なぜ韓国ではこうした単一の労働市場が現れたのかを説明するために、生産技術の特徴と強力な労働統制の展開に言及するとともに、農村からの離農民をすぐさま近代的な労働者に組織し得たような社会的なシステム・装置としての教育制度やセマウル運動についても考察を加えたい。

(山口大学経済学部)

 

シンポジウムのまとめ
文 京 洙 

 

 解放・分断に始まり、冷戦、軍事政権下の高度経済成長、民主化、国際冷戦の終焉、そして文民政府の登場へといたる、戦後半世紀あまりの韓国の歩んだ道のりをいかに解き明かすのか、という問題は、今日、ひとり韓国研究という領域をこえて、従来の社会科学のあり方そのものを問うような、重要な論点となっている。今大会では、「現代韓国の政治と経済」と題して、分野はもちろん世代という点でも多様な、しかも第一線の研究者の方々をお招きして、韓国をめぐるそうした底深い時代の変化を辿り、明日への見通しを語っていただいた。
以下の報告は、そこでの議論を、当日のシンポジウムの司会を担当した私のメモ(および記憶)と、各パネラーの方々に事前に提出していただいたレジュメなどに基づいてまとめたものである。各パネラーの報告とも、理論的にも実証的にもレベルが高く、しかも議論は多方面におよんだ。したがって、それぞれの報告や議論について、その深みにふれるような行き届いた紹介をすることは、明らかに私の手に余ることであるし、与えられた紙面からいっても無理があろう。以下の要約も、パネラーの報告や議論の一端を紹介するものにすぎないことを、あらかじめお断りしておかなければならない。
* *
議論は、滝沢秀樹氏の、短な、しかし重要な問題提起から始まった。滝沢氏は、韓国のNIEs化が「開発独裁」を不可避の条件として実現したものであるとする、最近ではほとんど定説化しつつあるといってもよい見解をあらためて問いつつ、むしろ問題なのは、この「開発独裁」がどのような国際的環境と国内的条件の下で形成され、そうした条件のもとにあって朴政権がなぜ“輸出指向型工業化”を選択したのか、という点を明らかにすることであるとし、これにまつわる政治過程そのものの分析の必要性を強調した。
こうした問題提起を受け、まず、李鐘元氏より「戦後韓国の国際関係」と題して、報告をいただいた。李氏は、戦後韓国のNIEs化の条件をめぐって、冷戦の関連(冷戦の被害者としてよりもその受益者としての側面)、アメリカの世界政策(戦後アジアのrecasting)、さらには、そうした冷戦構造やアメリカの対外政策に単に依拠するというのではなく、強いナショナリズムの指向を前提に、アメリカを積極的に引き入れ巻き込むことで自身の政策指向を貫こうとする韓国の歴代政権のあり方を指摘した。こうした前提に立って、李氏は、李承晩政権を「冷戦激化型ナショナリズム」、朴正煕を「冷戦便乗型ナショナリズム」としてそれぞれ特徴づけ、それらの冷戦ナショナリズムが経済的に一定の成功を収めつつも、それ自体の内在的な矛盾によって、変容を余儀なくされているとし、「現在の韓国の国際関係は、“民族派”と“国際派”という2つのイメージのせめぎ合いの段階にさしかかっている」(レジュメ)とした。
続いて、木宮正史氏より「開発独裁・民主化・そして世界」と題して報告をいただいた。木宮氏は、まず、朴正煕政権の「民族主義」的性格との関連で政権成立当初の内包的(自立的)な工業化路線についてふれ、60年代半ばでの、内包的工業化路線から輸出指向工業化への転換の問題も、単に前者の挫折によってアメリカの圧力に屈したのではなく、冷戦構造をふまえた朴政権による自覚的な対応であった点を強調した。さらに、木宮氏は、80年代半ばの権威主義体制から民主化への以降の問題にふれ、経済発展(にともなう中産層の成長)や市場経済の進展を民主化と無媒介に結びつける従来の議論を問いつつ、民主化運動の、冷戦や対米関係にまつわる構造認識の転換の問題を重視する必要性を強調した。加えて、木宮氏は、今後の展望の問題を、近年の韓国で謳われる「世界化」と「民主化」の相互関係という視角から提起した。
ついで報告に立った谷浦孝雄氏は、「“権威主義政治”と経済開発」と題して、経済発展の基礎条件の問題、開発を起動させる上での権威主義政治の「優越性」、さらに市場経済の成熟にともなう権威主義の後退についての自身の考え方を述べた。とりわけ、経済開発を軌道に乗せる上で、朴正煕政権の経済資源の直接配分(ミクロ政策)にみられるような権威主義的な経済政策の遂行が、経済成長の桎梏となりがちな既得権の「流動化」を促した点に注意を促した。さらに、谷浦氏は、「権威主義の後退」については、市場経済の成熟にともなう、ミクロ政策からマクロ政策(経済的資源の間接配分)への転換という、きわめて興味深い見方を示した。谷浦氏の報告は、おおむね経済の分野に限定した短く禁欲的なものであったが、経済政策と市場のダイナミックな関連をめぐるその指摘は、80年代以降の政治過程の意味を探る上でも示唆的な印象を受けた。
倉持和雄氏からは、農地改革に始まる戦後の韓国の農業政策の展開とその展望を、衰退する韓国農業の現状と関連させながら、詳細な実証的な裏付けのもとに報告していただいた。農地改革については、それが農業の発展や経済開発に寄与したというよりも、同時期の朝鮮戦争とも関係する地主の没落がその後の経済成長を可能にする条件となったことが指摘された。さらに、倉持氏は、朴政権の重農主義的スローガンと実体との乖離を指摘するとともに、韓国経済の発展を農工間の均衡的な発展のモデルとする議論についても、これが実際の韓国農業の展開や現状に反することを論証し、農業人口の急激な減少と老齢化によって農業の担い手の枯渇と農村の過疎化に苦しむ韓国農業の現状が紹介された。また、近年の「世界化」とも関連する農業の開放化についても、日本などに比べ、それが「圧縮的」に進行している点に危惧の念を示した。
倉持氏が、農業という視点から問題へのアプローチを試みたのに対して、横田伸子氏は、「1970年代の韓国の労働市場」と題して、韓国の「都市インフォーマル・セクター」を中心とした労働という視角から問題にアプローチした。横田氏は、従来の研究の問題点として、資料的な制約などによってその対象が80年代以降の労働力市場の分析に限られていること、また、従来の二重経済論が、都市の近代的経済部門と「都市インフォーマル・セクター」の間に越えがたい断絶を想定してきた点を指摘した。これに対して、横田氏は、重化学工業化の進展した韓国では、両部門間の労働者の相互移動と交流関係があり、「労働力移動のきわめて激しい、単一で広大な低賃金市場が形成され、これが韓国の高度成長の一つの条件ともなった点を、豊富な実証研究の裏付けに基づいて論証した。加えて横田氏は、両部門間のこうした相互移動を可能にした韓国での諸条件についても、生産技術や社会的なシステムなどの側面から明らかにした。
* *
以上の問題提起と各パネラーの報告に基づいて、主として、経済成長の歴史的条件、80年代後半以降の民主化の意味、「世界化」が謳われる今後の展望などをめぐって、フロアーからの質問などを交えて意見交換がなされ、いくつかの注目すべき論点が示されたが、そこでの議論については、私自身、十分に咀嚼しきれない点もあり、省略させていただきたい。
ともあれ、今大会のシンポジウムは、現在の韓国研究の到達レベルや議論の動向を知る上で有意義であったし、私自身、学ぶべきたくさんの示唆や、今後の研究に向けての刺激を受けた。もちろん、司会の不手際もあり、未消化なままにとどまった論点も多く、しかも、報告を整理する段になって、議論された問題以外にもパネラー相互でいっそう深めていただくべき論点が少なくなかったことにも気づいた。しかし、こういう時代の転機にあって、さまざまな世代と分野の研究者が一堂に会し、短い時間であったとはいえ忌憚のない意見交換をなしえたこと自体は、大きな収穫であった。この点、シンポジウムのために貴重な時間と労力を割いていただいたパネラーの方々に心からの敬意と感謝の意を表したい。最後に、稚拙な司会のため、フロアからの意見や質問に十分な配慮をなしえなかった点について、この場を借りてくれぐれもお詫びしたい。

(立命館大学)

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【人文社会科学分野 報告要旨】

日・韓の伝統喜劇「狂言」と「タルチュム」の比較対照研究
─笑いと社会的機能を中心に─
張 起 權

1 はじめに
日本と韓国を代表する伝統喜劇、「狂言」と「タルチュム」は共に中世に発生し、近世に定着した風俗劇で、当時の庶民たちの日常生活を赤裸々に、そして滑稽に描いている演劇である。同時に、両方とも喜怒哀楽をはっきり表現するセリフ劇であるがゆえに、当時の民衆の心情をよく表しているといえる。
両劇を比較してみると、その演劇的特性や社会的機能、また笑いの性質など注目すべきところは数多くあるが、これまで両劇を比較対照した研究の実績は皆無に等しいのが現状である。
私は今後、いろいろな角度から狂言とタルチュムを比較対照し、その類似点と相違点を明らかにしていきたいと考えている。今回の報告では、その一環として両劇にみられる‘笑い’と‘社会的機能’に重点をおいて考察する。

2 研究の領域と本稿の位置づけ
(1)両劇に関する研究の領域
1.発生(起源) 2.変遷(発達と固着)過程 3.範疇化と類型化(分類方法) 4.舞台、道具、音楽 5.演出と演技 6.登場人物 7.演劇的特性  8.笑いの性質 9.社会的機能 10.その他
(2)先行研究
狂言とタルチュムに関する個別の研究は少なからずあるが、両劇の比較対照を試みた研究はまだその例がみられない。
私は、個別の部分においては他の文献や研究を大いに参考にしながら、比較対照の枠組みと方法については独自に設けた順序によって研究を進めている。
(3)本稿の位置づけ
今回の報告は、両劇における笑いの性質と社会的機能について比較対照することを目的とする。類型別分類や登場人物についても、本稿の目的とも関連があるので、基本的なことは踏まえることにする。

3 「狂言」と「タルチュム」の分類

4 「狂言」と「タルチュム」の笑い
(1)祝言性
●笑いのなかには必然的に祝言の要素が含まれる
●狂言:武家の式楽としての性格 
◎脇狂言、大名狂言
タルチュム:五穀成就・無病平和・多産を祈る農耕呪術的儀礼から出発
◎歌舞、キルノリ
(2)風刺性
●狂言:下克上の時代といわれる南北朝と室町の動乱期に発生 a武家の式楽化 a普遍的な人間の弱点を突いた人間批判
◎大名物、太郎冠者物、山伏物
●タルチュム:民衆の上に君臨する両班と堕落した僧侶に対する痛烈な風刺は、最も重要な要素 ◎両班科場、ノジャン科場
●痛烈な批判精神が権力側への直接的な抗議や、社会運動的な行動にまで発展することはなかった。
●‘祭儀的反乱’:民衆の限界、妥協と知恵
(3)滑稽性
●肉体的・性的内容をネタにしたいわゆる卑猥なもの
●言葉遊び・比喩などを用いた言語遊戯的なもの
●仕草や場面の笑い

5 「狂言」と「タルチュム」の社会的機能
(1) 支配層と被支配層の対立と融和
●太郎冠者と大名・主、マルトゥギと両班の対立(常民と特権階級、下人と主人の間の闘い):制約のない逸脱行為、完全な立場の逆転 a祭儀的反乱
(2)宗教に対する反感と願望
●庶民と山伏・出家、チーバリや少巫らと老丈の対立
(3)夫婦・男女問題に対する意識
●日常の世界では厳格に守られている上下関係や権威、または社会的慣習などが劇のなかで効力を失う
●対立する者同士が、互いの立場を非難し、また融和する一種の遊戯の場

6 まとめ

(大阪大学言語文化研究科)

 

朝鮮民主主義人民共和国の国勢・経済事情に関する報道と現実について
片桐 未佳

 

 日本と正式国交のない朝鮮民主主義人民共和国に関しては、日常、『脅威』や『危機』という不安感を招く報道が多い。
しかしニュースソースが曖昧なために、はたしてそれが事実であるのか、それとも単なる西側を中心とした諸国の情報操作であるのか、確信できない部分が多い。報告者の訪朝時の経験からすれば、日本で受ける情報と実際の共和国の姿との間には、かなりのギャップがあったと思える。
食糧不足や自然災害等で経済的に試練を受けている現在、共和国の現状を正しくとらえ、なぜ外国で受ける情報とギャップが生じるのか、歴史的観点から分析し、調査結果を報告する。

論点は以下の2点の予定とする。

①政治的・経済的事情
独立後、金日成主席の指導下に築かれてきた朝鮮式社会主義の意義と、それに基ずく経済の在り方について。また、旧ソ連・東欧の社会主義体制が変容したことに伴い、共和国の今後が注目されている。
国民レベルでの飢餓・餓死説、国家レベルでの脅威・崩壊説が国際世論となっているが、現実はどうであるのか。
(羅津・先鋒等の国際貿易についての議論は省く)

②共和国の指導者および主体思想に関する認識
故金日成主席と現在の指導者金正日書記に対する評価は、共和国内と国外とで両極端である。これはイデオロギーによるものなのか、指導者に対する認識の度合いに格差があるのか。
独立革命以来遂行してきた活動史を基に分析する。

(チュチェ思想国際研究所研究員)

 

韓国利益集団政治の変化と連続
嚴 敞 俊

 

 民主化が始まってまもなく10年になるが、韓国の政治は転換しているのか。現時点で何がどこまで変わっているのか。最近韓国では権威主義的国家の全般的後退と市民社会の活性化を認める論者が大勢をなしているなか、韓国の政治体制の変動について、権威主義体制から多元的民主主義へと移行していく過程ととらえる論者が増えている。こうした傾向が最も顕著なのは、「利益集団政治」の研究であろう。彼らは、従来の通説(エリートモデルによる接近や国家コーボラティズム的接近)の限界性を指摘するとともに、多元主義的アプローチの導入を提起している。その場合、利益集団の利益表出の活性化や影響力の増大・市民運動や集団紛争の噴出・権威主義的行政スタイルの統制力喪失といった論点を好んで取り扱っている。
本報告の課題は、こうした多元主義的アプローチの可能性と限界性を明らかにすることによって、転換期韓国の政治体制の連続と断続の一端を理解する手がかりを得ることである。
そのために、ここでは93年の「薬事法」改正の政策過程を事例として検討する。この過程は、漢方薬の調剤権をめぐって起きた「大韓医師会」と「大韓薬師協会」の熾烈な利益表出活動から始まった。そして焦点は医薬分業政策の全般に拡大した。ここに登場する医薬関連の主な利益集団はいずれもその保有するリソースにおいて豊富さを誇っている。「保健社会部」は利益集団の調整に失敗した。また韓国随一の「市民団体」といわれる「経済正義実践市民連合」も加わっている。最終的には大統領の介入を受けて改正に至る。この事例については、多元主義的アプローチの適用の正当性を主張するために、管見ではすでに4本の論文が発表されている。さらに、より多くの研究者によって触れられている。その意味で、この政策過程は、韓国政治に対する多元主義的アプローチの適用可能性を検討するうえで、典型的事例とみることができよう。
ここでは、次のような論点を用意する。つまり、1)利益集団の自律的利益表出の根拠とその限界、また有効な利益表出の戦術、2)行政の政策的失敗の要因、3)「市民団体」の役割、4)真の権力の所在である。政策過程の段階は、紛争の再発期・拡大期・政府議題化期・経実連による調停期・立法期と設定する。分析は、各参加者の組織的・経済的・政治的リソース(関係構造)と各段階においての戦術(活動)を検討することによって進められる。その結果、変化は利益集団の戦術の多様化ぐらいで、むしろ構造的連続が強く認められるため、多元主義的アプローチでは本事例についての十分な説明にはならないということが明らかになる。

(立命館大学法学部)

 

ベトナム戦争のアジア経済への影響
─韓国とフィリピンの明暗─
朴 根 好

 

1.報告のねらい
①新古典派的開発理論の検証
*「貿易政策→輸出成長→経済成長」の図式は本当?
②国際経済環境はすべての発展途上国に有利であったか?
*アメリカの対アジア戦略を注目する。
③日本の役割を検証
*アジアにとって1965年は

2.「南アジア」から「東南アジア」へ
◎アジアはどこを指すか
*1950年代「南アジア」重視→ベトナム戦争以降:東南アジアを重視
◎「インドモデル」から「韓国モデル」へ
◎東南アジアの経済パフォーマンス

3.アジアの経済発展とベトナム戦争
◎ベトナム特需と東南アジア経済
◎アメリカの対アジア政策
◎東南アジアとアメリカの経済関係

4.成長の明暗を分けたベトナム戦争
◎1960年代の韓国とフィリピン経済:パフォーマンス比較

(静岡大学人文学部)

 

【自然科学分野 報告要旨】

宇宙論について
─ソリトンとその応用─
兪 成 志

 

 ブラックホールは、人々の好奇心や想像力を呼び起こしてきた。このブラックホールは、アインシュタイン方程式の特解により記述される。この解はいろんな形をしており、それらの重ね合わせより他の解を得る。その他、種々の特徴がある。

 一方、孤立波(衝突してもくずれない波)は、ソリトン方程式で記述される。これは光通信にも応用される。これ以外にも種々の応用がある。その一つに分子の振る舞いを解析するソリトン方程式がある。
我々はブラックホールというマクロスケールの系と分子というミクロスケールの系を関係づけた。
今回は、この関係についてお話しします。

1.ブラックホール
2.ソリトン
3.ブラックホールとソリトン
4.結び

(立命館大学理工学部大学院)

 

半導体超微粒子の光物性
金 大 貴

 

 最近、数十Aから数百Aのきわめて微細な半導体超微粒子(微結晶)の光学的性質が盛んに研究されている。超微粒子中では、サイズの有限性のために一つの電子(〝励起子〟)の運動状態が大きく変化する。このような空間的閉じ込めによる素励起の状態の変化を、一般に<量子サイズ効果>と呼んでおり、大きな注目を集めている。
我々は層状半導体BiI3を対象とし、マトリックス中にBiI3のクラスター・微結晶を分散・析出させ、その電子状態と格子との相互作用の微結晶サイズ依存性を調べており、微結晶中における励起子・格子相互作用はサイズが小さくなるほど強くなることがわかった。
講演では、半導体超微粒子の量子サイズ効果について概観し、実験方法やキーワードについて解説した後、我々の実験結果について報告する予定である。

(大阪市立大学大学院理学研究科)

南北科学技術協力について
─世界韓民族科学技術者総合学術大会に参加して─
高 泰 保

 

 韓国科学技術団体総連合会が主催する「'96世界韓民族科学技術者総合学術大会」が去る6月24日から7月6日までソウル(会場:韓国科学技術会館)で行われた。この学術大会は、1974年から毎年開催されているもので、今年で23回を数える。今回は韓国内から3千余名、海外から290余名が参加した。海外からの参加者をみると、米国が117名と最も多く、つづいて日本が53名、ドイツ、カナダ、オーストラリア、中国、CIS、英国、フランスがそれに続く。
研究発表は基礎科学や電気・電子・情報などの7グループに分かれて行われ、33分野で総数358件の発表があった。そのほかに、「科学技術の世界化推進戦略」、「南北科学技術協力および統合と展望」、「日本の先端技術」の3つのフォーラムが準備されていた。なお、ここでいう「南北」とは、グローバルな南北関係ではなく、朝鮮半島におけるそれを指している。
私は、国際高麗学会から日本支部代表の張年錫先生とこの学術大会に参加したが、私の最大の関心は韓国の指導的な科学者や技術者がどのような展望をもって南北の科学技術交流・協力に取り組んでいるのかを知るところにあった。
フォーラム「南北科学技術協力および統合と展望」には、100余名の科学者、技術者が参加していた。そこでは、まず鄭助英科総副会長の基調講演「南北科学技術協力と統合方案」が行われた。その内容は、南北科学技術協力の必要性、北朝鮮の最近の動向と科学技術、南北科学技術協力の基調と課題、南北科学技術統合戦略というものであった。南北の中間(例えば、非武装地帯)における共同研究団地の建設、南北科学技術協力基金の創設といった提案は、大変興味深いものであった。
ひきつづき行われた報告についていえば、報告「北朝鮮における原発建設推進と南北交流」は、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の事業を通じて南北間の技術交流が実践されることの意義について論述したものであった。中国に在住する科学者からは、中国、とくに延辺の南北科学技術交流に果たす役割について報告がなされた。
私は、今回の学術大会に参加して、南北間で科学技術交流・協力を発展させるには、政治の介入を極力排除し、政治的な思惑や軋轢に左右されないようにすることが肝要と実感させられた。また、南北の科学者・技術者が互いに異なった精神世界を形成していることを十分に認識し、それを尊重する気風の大切さも学ぶことができた。南北に海外を加えた科学技術交流に一層積極的に取り組まなければならないと改めて感じ入った次第である。

(国際高麗学会日本支部 科学技術部会委員長)

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〔東日本人文社会科学研究会報告要旨〕
第13回 1996年7月6日(土) 15:00~17:00 法政大学92年館(大学院棟)

 

朝鮮封建ナショナリズムの構造と展開
辺 英 浩 

 

 朝鮮半島では近代民族国家の樹立に失敗し、統一した民族・国家・民族言語の呼称さえ確立しておらず、朝鮮人、韓国人などという言葉が発せられるや、ただちにその人間の政治的立場が追及、詰問される状況にある。これは朝鮮と同じく近代国家の樹立に一旦は失敗し分断国家状態を経験したか、今日もしているベトナムや中国の場合と比較しても、ひときわ際立つ現象である。近代民族国家樹立の努力とその流産の過程をナショナリズムの視点より検討する。
結論を先にいえば朝鮮の主理派=中華主義で主気主義=反中華主義=朝鮮ナショナリズムの表現であった。主理派の李退溪は理を朱子同様に超越的なものとし、主気派の李栗谷は理が気に価値的には優位することを認めながら理を超越的に把握することには強く反対した。理は全体であり、気は部分を意味する範疇であるが、この意味を解明する。通常封建社会は分権権力として成立するが、朝鮮社会は伝統的に北の満州と南の日本、西北の中国という3方向よりの外圧にさらされてきたため、統一権力である李氏朝鮮王朝となった。李朝は明を中心とした冊封体制のなかに組み込まれ、中国皇帝と朝鮮国王は、名分上は君臣関係となった。冊封関係の内容は、政治的、軍事的「同盟関係」に近い。不安定な国際環境にさらされ続けてきた李朝は対外的な「安定」条件を獲得した。退溪は北虜=満州と南倭=日本への強い危機感を表明し、また明が天下の支配者であることを認め、この冊封関係を肯定している。退溪にとっての理=全体は現実的レベルでいえば朝鮮の国王権力にとどまらず、朝鮮を含む中国を中心とした冊封体制に組み込まれた全体である。冊封体制により東アジア全体が平和化され、朝鮮にも平和がもたらされている。李退溪はこの点を考慮した外交戦略を立てている。
栗谷は南北の外敵に脅威を感じ、それに対抗すべく中国との冊封体制を肯定し退溪とほぼ完全に一致する。しかし栗谷のナショナルな志向性は主に軍制改革論と朝鮮の固有信仰論のなかに表現される。彼の国防への強い関心と十万養兵の主張はあまりにも有名。対外的危機に触発され「武」を強く意識化し、「国」防への関心=ナショナルな志向性が強められている。しかし、十万養兵と軍制の抜本的再建のためには地主層の恣意を強く抑制し、自作農層の没落を阻止する必要があったが、栗谷の主張は相当孤立していた。改革実施のための前提となる地主層のなかでの非常に強い対外的危機意識の共有がなく、多数が冊封体制に依存・安住していた。栗谷が冊封体制があるにもかかわらず国防に対して強烈な危機意識を抱いたのは冊封体制への依存心から脱却・独立せんとする志向性を拡大していたからであった。朝鮮の固有信仰、開国始祖は檀君神話、檀君である。現在では南北朝鮮全体が民族のシンボルとして檀君に強く執着している。しかしこの檀君神話はきわめて断片的な記録でしかなく、ここから民族固有の信仰・文化内容はほとんど伺い知り得ない。李朝に至って「朝鮮始祖檀君」として国家祭祀の対象となったが、李朝は朱子学によって建国され、箕子もまた「教化と礼儀の主」として国家祭祀の対象とされた。檀君伝説は断片的なために、李朝における檀君崇拝者が、一旦現世での秩序や文化について語り始めるや、体系的な文化内容をもつ儒教を象徴する「教化と礼儀の主」の箕子伝説等も語らざるをえない。だがそれでも檀君を強く打ち出すことが最も強力な朝鮮ナショナリズムの主張。栗谷は科挙試験の答案や出題文のなかで檀君の歴史的存在を肯定している。栗谷の相対的な個別主義の主張は、国際関係のなかでの抑制された朝鮮の独自性の主張であり、朝鮮ナショナリズムの潜在的表現であった。
朝鮮ナショナリズムが顕在化しうる条件は何か。まず朝鮮の国際的安全保障体制。冊封体制は有効な安全保障体制だが、朝鮮民族のナショナルな本能からすれば屈辱であり、逆に冊封体制から離脱した場合には、ナショナルな本能は満たされるが、3方向の外敵、特に中国からの武力侵略を受ける可能性が発生する。潜在ナショナリズムを顕在化させるには、中国に対抗しえる新たな同盟国の出現が不可欠。次に国内的には李朝の正統教学である儒教以上に強い民族的求心力をもちえ、かつ反中国と新たな同盟国との連携に障害とならない文化理念、普遍的な思想が不可欠。反中国ナショナリズムを顕在化させうる一つの機会はフランスの軍事力と結びつく可能性のあったカトリシズムの流入であった。もう一つの実例が日本の支援をえた近代西洋文明を理念とする開化派のクーデター、甲申政変である。その後の日本の植民地に転落する直前より急速に浸透したプロテスタンティズムや社会主義も米国とソ連をそれぞれ背後勢力として有しており、類似のパターンがみられる。

(都留文科大学講師)

 

〔西日本地域研究会報告要旨〕
第26回 1996年6月29日(土) 15:00~17:00 OICセンタービル4F会議室

在日韓国・朝鮮人教育における「民族教育」的側面と「反差別・人権教育」的側面
金 泰 泳

 

 在日韓国・朝鮮人教育にかかわる場についていえば、民族学校、日本の学校における民族学級・民族クラブ、地域における子ども会活動そして家庭に大きく分類することができるであろう。そしてそのうち、日本の学校におけるそれと、地域子ども会活動に注目してみると、在日韓国・朝鮮人教育の中身・考え方には「民族教育」と「反差別・人権教育」という大きな2つの流れがある。「民族教育としての在日韓国・朝鮮人教育」とはすなわち、「民族文化の獲得を通して民族的自覚と誇りを高める」教育であり、「反差別・人権教育としての在日韓国・朝鮮人教育」とは、「1.在日韓国・朝鮮人としての自覚  2.確かな学力 3.差別社会を切り拓く力」を柱とした教育である。前者は主として大阪市・東大阪市を中心とした日本の学校における「民族学級」等の場で実践されており、後者は大阪府内のいくつかの市における主として地域子ども会活動における実践である。
1970年代に入って、それまで在日韓国・朝鮮人教育がいわば「本国志向」の教育であり、「在日」に実状をかならずしも反映していないのではないかという問いかけが起こり、後者の考え方の教育実践が始まったのである。以来、これらの在日韓国・朝鮮人教育観はともすれば対立的な構図で捉えられてきた。そしてその「対立」はこれまで、それを実践するグループどうしのイデオロギー対立といったレベルでのみ捉えられてきたのである。しかしこれらの教育観の違いの根底には、それぞれの教育観に投影されている、在日韓国・朝鮮人をどう捉えるのかという、いわば民族的アイデンティティ観の違いが存在すると考えられる。
具体的な教育課題に、これらの在日韓国・朝鮮人教育における考え方の違いをみていくと、「学力保障」に、その考え方の違いが象徴的に反映されていることが見て取れるのである。すなわち、“反差別・人権教育としての”在日韓国・朝鮮人教育においては、先にも述べたように「学力保障」は重要な教育課題としてあげられている。しかし“民族教育としての”在日韓国・朝鮮人教育においては、「学力保障」は教育課題としては意識的にはあげられていない。「学力保障」の問題は、単に手段的(instrumental)側面からのみ捉えられるべきではなく、表出的(expressive)側面からも捉えられるべきである。すなわち、「学力保障」に対する距離の置き方が、それぞれの教育観における在日韓国・朝鮮人のアイデンティティ観を反映しているということである。
発表においては、ある市の在日韓国・朝鮮人生徒の高校進学率の資料や、教師の言説をもとに、在日韓国・朝鮮人の学力傾向を、居住地域の違いを比較軸として浮き彫りにした。そしてその要因をJ.U.オグブの「カーストバリア理論」を用いて分析をおこなった。在日韓国・朝鮮人教育における学力問題とアイデンティティの問題の関係を探るために、S.フォーダムとJ.U.オグブの「フィクティブ・キンシップ理論」を採用して分析した。そしてこれまでの在日韓国・朝鮮人教育における、ともすれば一元的・固定的に捉えられがちだった「在日」の民族的アイデンティティと「学力」が対立的に捉えられてきたのではないかということを明らかにした。
在日韓国・朝鮮人教育には今後、多元的な民族的アイデンティティ観を視野に入れた教育観が求められ、そのためには具体的な社会生活における在日韓国・朝鮮人の生き方の多様な選択肢が求められる。そのために「学力」は自己表現のための方途として必要であり、在日韓国・朝鮮人教育においては子どもたちの学力問題がこれまで以上に注視されていくべきであろう。
紙数の関係もあり、大変雑白な発表要旨になってしまったことをご了承いただきたく、詳しくは以下の拙稿をご参照いただきたい。

1.「在日韓国・朝鮮人教育と『学力』保障」(『解放教育』10月号 1994年9月)
2.「在日韓国・朝鮮人における地域社会と民族的アイデンティティ─点在地域の子どものアイデンティティ状況を中心をして─」(大阪大学人間科学研究科形成系紀要『大阪大学教育学年報』創刊号  1996年3月)

(大阪大学大学院)

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〔国際高麗学会日本支部 第2回総会〕

 1996年11月10日、1996年度学術大会終了後に第2回総会が開催された。総会では、まず張年錫代表の挨拶と、宋南先事務総長より「第5回朝鮮学学術討論会」についての報告があった。次に、第3回評議員会(1996年4月21日)で承認された内容(通信第6号10ページ参照)が報告された。また、次のとおり1996年度活動中間報告がなされた。

1 第3回評議員会を4月21日開催
2 地域別研究会
①西日本地域研究会
第25回 96年4月20日 韓国における国家主導開発体制を
めぐる理論的視角 高龍秀(甲南大学助教授)
第26回 96年6月29日 在日韓国・朝鮮人教育における「民族教育」
的側面と「反差別の人権教育」的側面
金泰泳(大阪大学大学院)
②東日本人文社会科学研究会
第13回 96年7月6日 朝鮮封建ナショナリズムの構造と展開
──李栗谷から美学── 辺英浩(都留文科大学講師)
③医療部会西日本会
第1回 96年6月8日 講演会
1.玄丞烋(京都大学生体医療工学研究センター助教授)
2.具英成(神戸大学第1外科講師)
3 国際高麗学会日本支部通信第6号発刊(96年6月)
4 国際高麗学会日本支部第2回学術大会を開催 1996年11月10日 甲南大学

 

編集後記
本号は、学術大会に関して2回目の特集号を組みました。第2回学術大会は、会員の皆様の多大なるご支援・ご協力を賜りまして、成功を収めることができました。とくに、シンポジウム「現代韓国の政治と経済」は、とても意義深いものとなりました。シンポジウムの内容をまとめてくださった文京洙先生や、報告者の先生方、また研究会の報告要旨を送っていただいた先生方に、この場をお借りしてお礼申しあげます。これまで、日本支部通信を計画どおり年2回発行してまいりましたが、今後とも一層の充実を図ってゆきたいと思います。引き続き、会員の皆様のご支援・ご協力をお願いする次第であります。(金哲雄)